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「ほめる」ことは大切なことだと言われる。
適切にたっぷりとほめられると、自己肯定感が上がるし、自信がつく、と言われる。
「ほめて伸ばす」というのも言われる。
ただ、なにに対してほめるのか。そこはあまり問題視されない。
「素敵なこと」、「好きなもの」をほめる。
「いいことをした」、「望ましいことをした」ときにほめる。
じゃあ、「いいこと」ってなに?「望ましいこと」ってなに?
その基準は曖昧で、とても個人的だ。
「明るく、積極的な人」が基準なら、暗く消極的な人はほめられない。
なんかさぁ、「ほめられる」ことで知らず知らずのうちにコントロールされている気がしてさ。
「なんでもかんでもあんたの望むように、思うようにふるまえないよ!ほめてもらわなくても結構さ!」と言いたくなることがある。
「世の中の理想」と私は違う。
あなたの好みになるように生きていきたいわけじゃない。
なにに対して自分がほめるのか、によって相手をコントロールしたくない。
場合によっては慎重にほめたほうがいい。
そんなことを考えさせられた日。
なにに対してほめるのか
「ほめる」ことは大切なことだと言われる。
適切にたっぷりとほめられると、自己肯定感が上がるし、自信がつく、と言われる。
「ほめて伸ばす」というのも言われる。
ただ、なにに対してほめるのか。そこはあまり問題視されない。
「素敵なこと」、「好きなもの」をほめる。
「いいことをした」、「望ましいことをした」ときにほめる。
じゃあ、「いいこと」ってなに?「望ましいこと」ってなに?
その基準は曖昧で、とても個人的だ。
「明るく、積極的な人」が基準なら、暗く消極的な人はほめられない。
なんかさぁ、「ほめられる」ことで知らず知らずのうちにコントロールされている気がしてさ。
「なんでもかんでもあんたの望むように、思うようにふるまえないよ!ほめてもらわなくても結構さ!」と言いたくなることがある。
「世の中の理想」と私は違う。
あなたの好みになるように生きていきたいわけじゃない。
なにに対して自分がほめるのか、によって相手をコントロールしたくない。
場合によっては慎重にほめたほうがいい。
そんなことを考えさせられた日。
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