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御朱印沼にはまらないようにしている

2021/06/05

正月早々、初詣でおみくじの凶を引いたことを職場で面白おかしく話している。
凶を引くとひどく落ち込んでいたのに、ここまでできるようになった私って成長してる?!ちょっと嬉しくなる。

まぁ、そのときに言われたんだ。
「神社巡りが好きなんですか?」

いいえ。そうではないのですよ。

いろんな旅のしかたがあると思うが、観光地には行きたい派。
日本の観光地の多くが寺社仏閣だし、好きなんですよ、あの場所と雰囲気。特に神社は「いいところに建てているなぁ」と感じる。場の空気が古ければ古いほど「パワースポット」というか、なにかよくわからないけど「気」が違う気がしている。

おみくじを引くのも好きなので、知らず知らずのうちに寺社仏閣を巡り、おみくじもたくさん引いているわけさ。



さて、近年、御朱印集めが話題となっている。
かつてはじじばばの趣味、といったところだったが、かわいい御朱印帳もたくさん目にするようになった。寺社仏閣でもオリジナルのものが取り扱われている。

きっと「刀剣乱舞」というゲームのせいだろうなぁ、と思う。
名のある刀剣が付喪神となり……という設定だが、乱暴に言うと刀剣の擬人化であり、プレイヤーは歴史を狂わせようとする敵と刀剣を戦わせる。
刀剣の何振りかは寺社仏閣に奉納されていることもあり、御朱印に刀剣の名が書かれることがあるため「御朱印めぐりイベント」が寺社仏閣で開催されてもいる。


旅に出る回数は減ったとはいえ、旅にはノートを持っていき、その場所にあるスタンプを押しては悦に入る私はきっとハマると思う、「御朱印集め」。
しかしあえて手を出さない。

理由はいくつかあるが、とにかく「ハマりたくない!」という自制心(?)だと思う。

もし私がハマったとすると、御朱印帳を旅先にも持っていくことになる。持っていない場合は、紙に書いたものを求め、自分で御朱印帳に貼ることになるが、貼れば御朱印帳は太るだろうし(ノート、手帳でちょっとした貼りものが積み重なるとぶっとくなるのは知っている)、やはり自分の御朱印帳に直に書いていただきたいじゃん!

御朱印帳は和紙を和綴じにしたものが多く、ある程度の大きさがある。
つまりかさばるのだ。
ただでさえ、カメラとノートとあれとこれとで荷物が多くなる私なのでこれ以上持ち物が多くなるのは避けたいところ。


そして私の性格だと、「お詣りする」ことが目的ではなく「御朱印を集める」ことが目的となりそうで、いやだ。

ブログだって、最初は書きたいことを楽しく書いていたのに、PVだなんだに振り回されていた頃は「ブログを書くためになにかする」になっていた。一番なりたくない状態で、気をつけていたつもりなのに。
それに気づいて、一気に熱が冷め、「書きたくなるまで待つ」と思い、あほみたいに更新していたのを止めた。


まぁ、こんなことを言っていてもいつどうなるかわかりませんからね。
私だって審神者(さにわ、と読む。ゲーム「刀剣乱舞」のプレイヤーを指す。付喪神となった刀剣の主(あるじ)となる、という設定)ですからね。
いつ「粟田神社」!「藤森神社」!と書いていただいた御朱印帳をばばーんとブログやInstagramに上げるかわかりません。くふふふふ。





■余談
大人気になるとこういうことが起こってしまうのか、御朱印がメルカリなどで高値で売られているのも目にするようになった。
それを重くとらえた寺社仏閣では、御朱印を止めるところもあった。

ゲーム人気なんだろうけど、もとは宗教的な場所であり、ものである。
それをないがしろにする行為は、いやだなぁ、と思う。