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「心配」って「心配り」なんだ。「大丈夫?」と聞くことじゃないんだ。

2021/06/05


それに気がついたのは、「心配り」を「心配」と誤読してしまったからでした。


ふらふらしているのか、コドモっぽいのか、どこか庇護欲をかきたてるのかわからないのですが、私はよく、人から心配されます。
私としては「問題なし!」と思っていても、端から見たら違うようです。

両親や祖父母の言い含めで、「人様にご心配をおかけしない」を気にかけ、努力しているつもりでも、どうしてか心配されます。


今回、私は心配をおかけしたつもりではないのに「え?またご心配をおかけしたの?!なんで???」と思い、よくよく読み直したら、「心配り」と書いてありました。


それで、「ああ」と思ったのです。
「心配」って、「相手に心配りをする」ことなんだ。

「心配」となると、不安にさせるような、なにか申し訳ないような感じがありますが、私がするのは「心配りなんだ!」と思うと、こちらの不安も軽くなります。


心配になるとつい、相手に「大丈夫?」と聞きたくなります。
聞かれる側になると、信頼関係のない人には「大丈夫です!」と答えざるを得ない感じがしています。
ほんとは大丈夫じゃないけど、「心配をかけてはならない」と思います。
そして、あまり余裕がないときには「大丈夫です」と答えるのすらつらいです。


でも、心配しなきゃいんです。
心配りです。
「大丈夫?大丈夫?」と尋ね、相手が「大丈夫です」と答えるのを聞いて自分が安心するんじゃありません。

心配りをします。

これがなかなか大変ですが、「日々の生活」がスムーズに送れるようにする、というのを考えると、手掛かりがありそうです。


父の介護や看病で母と二人、てんてこ舞いしていたとき、「大丈夫?」と聞かれたり、お花やお菓子をいただくより、「今日、これを食べんさい」と手作りのおかずを一品いただいたほうが涙が出るほどありがたかったです。
料理するのもしんどくなる。
しかしできあいのものだと、味つけが濃かったり、出費もかさむ。
そんなときのおかず、それも菜っ葉の胡麻和えやひじきの炊いたのなどが嬉しかったです。

そうしてくれた方は心配もしてくださったでしょうが、心配りもしていただいていたんだなぁ、と今になって思います。