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自分の生死を肌がぴりぴりするくらい感じた / 2020年ふりかえり(2)

2021/06/05
 

やはり「奇妙な1年だった」と言わざるを得ない2020年。
何度も書いているが、新型コロナウイルスが原因だ。

誰にもわからなくて、見えなくて、正解がなにかわからなくて、対策しようにもどうすればいいのか。

とにかく見えない不安だけが、雪だるまのようにどんどん膨らんでいく。
なにを信じればいいのかすらわからない。
自分がどこを向いていればいいのかもわからない。



こんな感覚、以前に感じたことがあるぞ。
と思い出したら「東日本大震災」のときだった。
あのときもなにがどうなのか、どっちを向いて歩けばいいのか、なにをすればいいのか、さっぱりわからずにいた。
ものがどんどんなくなって、連日ニュースと魔法の言葉がぽぽぽぽーんが流れていく。

あのとき、どうやって過ごしたのだろう。
Twitterは控えたかな。
ツイートしないぶん、ブログを書こうと思ったけど、ろくなことが書けそうになくてあまり書かなかった記憶がある。

それから、私は西にいたのでどんなことが起こったのか、体験していない。
揺れも停電も断水もなかった。

コンビニの棚ががらがらになり、見えない不安ばかりが大きくなっていった。

東の人から、「西の人はそれが可能なら、これまで通りの生活をしてほしい」と言われた。
我慢しないで、のんきなままでいてほしい。
西から経済を回してほしい。
と言われた。

それを真に受けてよかったのかどうかも、そのとき判断できなかったけど、私は努めて「特別」なことはしなかった。

今年は西も東もなく、全世界だ。



春から初夏にかけて、私は軽く入院の準備をしていた。
大きめのトートバッグに、下着や化粧水、寝間着、洗面用具、モレスキンラージなどを突っ込んでいた。

しかし、ある記事を読んでいてそれが止まった。
これについてはブログに書いたと思う。
なぜ「生きて帰れる」という前提なのか、ということを突きつけられたものだった。

うちでは私が感染する可能性が高い、と考えられた。
なので入院準備をしていたけど、様々な情報や噂が流れていく中、自分が死ぬ確率も低くはないのだ、準備は死んだときのことも含めてしなくちゃならないのだ。

そんなこと、思ってもいなかった。
闘病の末、退院することばかり考えていた。

怖い、と思った。




「自分が生きる」ということに対して、すごくこだわりがあるほうではない。
長生きをしなくてもいいと思っているし、もしなにかあって明日お星さまになっても心残りや悔いが残りそうだとも考えていない。
死に至るまでに痛み、苦しみがあるほうがいやだなぁ。


きっと自分に甘いんだろうなぁ。
イヤなことは直視しないクセは未だに健在だ。

普段の生活でも、いつどうなるのかわからないのだから、不必要に怖がることはないのだろうけど。

戻ってくるつもりだったのに戻れませんでした、というのは怖いなぁ。いやだなぁ。



毎日のように「死ぬかもしれない」ということを意識して生きてきたことがなかったな、と感じる1年だった。



おまけとして、どこか「もし今やらなかったらできなくなるかもしれない」という刹那的なことを考えることが増えた。
ほしいものはチャンスがあったら、すかさず手に入れる!
という行動に移すまでの時間がちょっとだけ、短くなったかもしれない。



スライムと一緒にあるく「ドラクエウォーク」も2回目の年末を迎えた。
去年の今頃は「おせち」の中身を集めるクエストで「ドラクエの世界観ぐちゃぐちゃじゃん!ここは日本じゃねぇんだろっ!」と怒っていた。ぷふー。


来年のこともちょっと考えた。
生き延びていたら、またブログに書くよ。

長生きをすることにはそうこだわりはないのだけれど、「命ある限り生き延びる!生き抜く!」という部分では、なぜか血がたぎるのさ。