こっそりと、宣言をせず、ノートにも手帳にも書かず、1月1日からブログを毎日更新していた。
それは古賀史健さんのnoteを読んで、思うところがあったから。
あぶないあぶない、忘れるところだったです。|古賀史健|note
週末などをのぞいて毎日のようにnoteを更新している理由について書かれている。私が「あ」と思ったのはこの中の「①ことばへの構えがなくなる」だ。長いが私にとって大切なことなので、引用してみることにする。
① ことばへの構えがなくなる
もしもぼくが「気の向いたときにだけ、note を書く」というスタイルを選んでいたなら、たとえば「きのう食べたピザがうまかった」みたいな話は書けないだろう。個人的ななにかを書こうとしたとき、きっと「それって、わざわざ書くことかね?」の自意識がじゃまをする。もっと大事なこと、もっとみんなに感心されそうなこと、もっと社会に有用なことでないかぎり、なにも書いてはいけないような、書くに値しないような、妙な縛りができてくるはずだ。結果、おおきなこころの動き、大事件、ファイナルアンサーばかりをことばにするようになっていく。そして、ほんとうはいちばん大切なはずの「ちいさなこころの動き」をことばにする機会が、なくなっていく。日々の思いは、ことばを与えられないまま、記憶の彼方に消え去っていく。毎日書いていて助かるのは、それら「どうでもいいかもしれない、日々のわたし」をことばにする習慣ができていくことだ。
これを読んだときの自分のブログの更新は、まさに「気が向いたときだけ、ブログを書く」だった。
特別なことがないと書かないし、特別なことがあっても書かないし、とにかくサボることにした。
「ブログのためになにかする」という本末転倒の自分がイヤだったし、正直あまり読まれないブログを更新する意味ややりがいのようなものを失っていたからだ。
これはブロガーさんと積極的に関わったあとに起こったことだ。多分、アテられたんだと思う。
あんなに書かなきゃ。PV取らなきゃ。ブロガー同士仲良くしなきゃ。
冷静に考えたら、SEOとか特化とかペルソナとか読者層とかお役立ちとかなんやらかんやら全無視してて、数字になるはずないじゃん。
とにかく書くのがイヤになって「書くことに飢えてみよう」と思い、書くのを止めた。そうしたら、ラクね。
受け身で他の人の作品を見たり、書くことへエネルギーを費やさなくなったりして。ほんとにラク。「書く」ってすごいエネルギーが必要なんだな、と体感もした。
一方で、古賀さんや「ほぼ日刊イトイ新聞」にこちらは毎日のように文章を載せている糸井重里さんのように「毎日更新したらどうなるんだろう」という興味も大きく残っていた。
そして去年の年末、Advent Calendar で、結構なペースでブログを書いていた。
その勢いはのんびりと過ごしたお正月にも続いた。とりあえず、三が日は書いてみた。しめしめ、イケそうだ。
そのまま低空飛行で、「取るに足りないもの」を見つけてすくい上げるような作業をしていた。古賀さんの言う「ちいさなこころの動き」に注目していた。
が、これが3週間弱で終了することになる。
仕事の飲み会で飲み過ぎて、著しく体調を崩したからだ。これまでにないような、自分のことなのにドン引きするような不調を目の当たりにして、「来年度の検査、なにかひっかかるかもしれない」と思うほどだ。
更新し始めた最初は「書くことがない」とほんとに些細なことで自分の心がちょっとでも動いたらそれを無理矢理書く、というものだった。
1000字以上でお役立ちで質のいい記事?そんなものはほっとけ。こんなはじっこにいるんだ。Googleセンセェのお眼鏡にかなういいコじゃなくてもえぇじゃろう。
それが10日くらいしてくると、その「些細な動き」に敏感の反応できるようになっていて、すごく嬉しかった。
ずっとずっとは無理だけど、1月中は毎日更新してみようかなぁ、と思っていた。
Twitterで宣言したり、手帳等に書かなかったのは、書いたら更新が途切れるような気がしたから。
あるじゃん、「風邪、全然ひかないんだよね」と言ったらひいちゃう、ってヤツ。
あんなふうになりそうだったので、やめたの。
今年は去年よりももうちょっと、ブログが更新できたらいいな。
そんな1月末。
節分と立春がやってくる。お雛様の準備もしなくっちゃ。
コメントを投稿
別ページに移動します