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スペイン・リアリズム絵画の異才 磯江毅展 -広島への遺言- 広島県立美術館 #広島県美

2022/02/06





磯江毅という人を知らなかったし、
なんとなく見にいくつもりはなかったのだけれども、
チケットプレゼントに応募したら当選したので、行ってみることにした。

なんとなく、私は斜に構えて会場を訪れた。

今現在の「アーティスト」というものに、私はひどく警戒するくせがある。

いつもの「わくわくする!」という気分ではなく、
全身を尖らせて展示室に入った。





写真と見紛うような写実的な絵画を見ると、
「どうして写真じゃないんだろう?
どうして絵として描くんだろう?」
と、よく思う。

写真でもいいんじゃないか。

とも思う。

細部まで描くのと写真を撮るのと、どう違うんだろう。




そんなことを思いながら、磯江さんの作品に初めて対峙した。


なんだかとても静かだった。

平日の午前中、という時間帯のせいもあるのだろうが、
最近、自分が行った特別展より人が少ないのか、
とても静かだった。

もしここで鉛筆を走らせて磯江さんが絵を描いたら、
鉛筆の音が聞こえてきそうだった。


作品もとても静かだった。

静かな中、血管を血液が流れる音がしそうだった。

絵は「止まっている」のではなくて、血液が流れていた。


それはきっと、磯江さんの奥様のコメントが作品に添えられていたせいかもしれない。

「ああ、この人はこの世にいたんだ」

すごく実感できた。


モネとかゴッホとか尾形光琳とか、なんだか
「とても昔の人」で「物語の中の登場人物」のような感覚を持ってしまう。

なかなか、
「ああ、この人はこの世にいたんだ」
と実感しにくい。


普段、説明プレートはあまり読まないんだけど、
今回ほどきちんと読んだことはなかった。

人が少なくてゆっくりしても大丈夫だったのもあるけれど、
奥様のコメントが作品をぐっと私に近づけて見せてくれる感じがして、
とっても面白かったから。





細密に描かれている作品を見ながら、
私は冒頭の疑問を頭の中で反芻する。

もしかしたら、「切り取りたい瞬間」を自分で決められること。

描きたいものだけ描けること。


この二つもあったのかなぁ、とぼんやり考えてみる。


写真は「撮りたい瞬間」が向こうから来るのを待たなくてはならない。
作りこめるところもあるんだろうけれど、
その光の中の、
その表情の、
その風の中の、
その体温の、
その瞬間が訪れたときにシャッターを切るんじゃないかなぁ。


磯江さんの作品は、背景の細部の細部まで描きこんでいるものは少ない。

描きたいものは細部まで描いてあるけれど、
背景は描かれていないもの多い。

そして、ソファに横たわる裸婦の絵は、
ソファが描かれていなく、
「横たわる裸婦が宙に浮いている」絵なんだけど、
ソファのふかふかした感覚がなぜかわかる感じがして、
とても不思議だった。

写真なら、ソファも写ってしまうし、
加工してソファを消してしまうこともできるのだろうけれど、
このふかふかした感じが感じられるのかどうかは、
私にはわからない。



「どうして写真じゃなくて絵なんだろう」
という疑問に対しては、そんなことを考えた。

また、初期の作品に登場する
ガラスの破片のようなものやテーブルのコーヒーカップの輪染みのようなものはなんだろうなぁ、
とつらつら思っていた。













いろんな作品を見ているうちに、
私は斜に構えることを止め、全身のヘンな緊張感も取れていた。

そして作品から受ける刺激が抱えきれなくなったころ、
休憩室があるので、
思ったこと、感じたことをモレスキンに書いた。

こういう「息継ぎ」の空間があるので、
広島県立美術館は好きだ。

トイレ休憩もできるし。







磯江さんは19歳からスペインに絵画の勉強のために行っていた。

今回、展示してある作品の中に、
ウサギやトリの、生々しい肉のものがある。

あー、これって日本にいたらなかなか知らない感覚かもなぁ、と思いながら見ていた。

毛と内臓だけを取られたウサギ

首を切られ毛と内臓を取られたトリ


自分がスペインでウサギを食べたことを思い出していた。


ほかの生命を食らって生きているんだ、と思う。

スペインはそういった強烈な生死を感じさせてくれる場所でもあった。

強い日差しと濃い影のコントラストの強さのように、
なんでもないことでも生死が強烈に感じさせられる、そんな感じ。




磯江さんは広島市立大学に就任が決まると、
仕事が始まる前に再びスペインに絵画の勉強に赴く。

そのときは、人体の骨、骨格、それにつく筋肉、そして肉体。
そういった構造を学び、
未完の作となった横たわる女性の作品は、
手の甲を走る静脈が透けて見える様子、
手と指の骨の様子までもがしっかり描かれていて、
よりリアリティのあるものになっていて、
溜息しかつけない。



こんなに「本物そっくり」の絵を
どういう手順でどういうふうに描くのか、
さっぱり見当もつかないなぁ。



展示の最後に磯江さんの練習のためのスケッチや、
街や街なかで見かけた人のスケッチがあった。

とくに街の様子と、街の人のスケッチはなんだかほっとした。

作品が「いろいろ削ぎ落としてストイック」なので、
私の息も詰まるような厳しさが漂っていたから、
力が抜けたのかもしれない。



今回の特別展の中で、私が一番好きだったのは、「鰯」。

大きな白い丸皿の隅っこに調理され身をほじられた鰯が置かれている。

なぜだか、「あー、日本だなぁ」と思った。
異国の中の日本。

これは私特有の感覚で、
きっとスペイン巡礼の中での鰯や魚介類事情や経験がそう思わせたのだと思う。

これはうまく伝えられない感じがあって、ここには書かない。



その「鰯」の絵はがきを買って、私は展示室を出た。