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[感想] 映画「スタンド・バイ・ミー」

2021/10/01

 


※ぶっちぎりでネタバレあり。だと思います。


これまでにも何度かこの映画を見る機会があったはずだけど、多分、まともに見たのは1回くらいだけだと思う。

理由はひりひりして、切なくて、悲しくて、どこにも持っていけない感情のうねりや怒りが込み上げてきて、そしてひとりでいたくなくなるからであり、自分が彼ら4人と同じ歳の頃の感情も思い出して恥ずかしさとつらくて泣き叫びそうななにかも甦ってくるからである。

久しぶりに「スタンド・バイ・ミー」を見てみようかと思ったのは、自分が今、映画を「お勉強の時間」としているからだと思う。

お勉強といっても、この場合は本を読むのと似ていて「自分が生きているのとは別の世界を見る・知る」、「たまに人生を考える」、「感情のひだひだを増やせるのではないか」、「心を耕すというかなんというか」、「昔の大人の世界にふれ、自分もそろそろ大人になってみてはいかがか、と言ってみたいのかな」などなど、要するに自分を豊かにしたり、娯楽であったり、たまに真面目になってみたいだけである。


「金曜ロードショー」で久しぶりに見た「スタンド・バイ・ミー」。
英語と字幕で視聴。

見終わってじわじわとタイトルの「スタンド・バイ・ミー」が沁みてくる。

直訳すれば「私の隣りに立っていて」だと思う。
そこから「私のそばにいて」になり、「私の味方でいて」からの「私を支えて・応援して」になるようだ。

大人ぶっててワルぶっていても、12歳の少年たちですよ。
またまだ親の養いと保護が必要で、できることも多いけど、5つくらい上のオニイサンたちは車でぶいぶいできるけど、徒歩ですよ、徒歩!

たばこふかしながらの話題はミッキーマウスとドナルドダックだし。
アンバランスでちぐはぐで。

その力のない中で家族や住んでいる町との葛藤があり、どうにもできなくて、寄り添うんです。

ほんとに「隣に立つ」だけしかできない。
でも心の中ではきっと、「いつか力をつけたら絶対におまえを支えるから!」というエネルギーが渦巻いていそう。


死体探しの冒険後、大人になった主人公が小説のラストを書き終えるんだけど、それもつらくてねぇ。

そしてキングの「スタンド・バイ・ミー」が流れてくる。
映画と曲のタイトルが沁みてきてねぇ。

これ、日本語にするととても陳腐になりそうなんだけど、でもこういうシチュエーションは日本でもあると思うの。
これを日本語ではどう表現するのか。
「スタンド・バイ・ミー」をどう表すのか。
うなってみただけで、語彙力も英語力も日本語力もない私はそれで終わってしまった。

映画の邦題って難しいものだな、と思う。
「スタンド・バイ・ミー」はあの時代の日本で「よくぞ英語のままにしておいてくださった!」と思える。
これが「少年たちの一夏の旅」とか「僕のそばにいて」とかになってたら、このじわじわ沁みてくる感じがなかったかもしれない。