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抽象的なものに自分のヘキが反映される / 映画「SHORT PEACE」大友克洋他

2021/10/01

※ネタバレあり。閲覧注意。


大友まつりも3回目。

この作品もやっぱり「スチームボーイ」同様、私の中の「AKIRA」を動かすことはできなかった。
断トツぶっちぎり1位だよ、AKIRAくん!!



4本のショートアニメーションを集めた短編集。
大友克洋さんが監督している作品もあるし、原作の作品もある。
共通テーマは「日本」。
それにオープニングがついていて、5つのパートから成り立つ。


どれも丁寧に作られていて、よく動くし、なめらかだし、綺麗だし、大胆だ。

「火要鎮(ひのようじん)」は、絵巻物の楽しみ方をアニメーションに落とし込んでいて、とても興味深かったし。

「九十九」は身体のでっかい大雑把っぽい男性が指を刺しながらもちまちま針仕事をしているギャップがかわいかった。
そして仕掛けのある彼のお道具箱を「もっとよく見せろ!」と思った。
細工も美しく、お道具がきっちりと分けて収められていてとっても素敵だった。

でもこう、魂が揺さぶられる何かがないんだよなぁ。



私の眼鏡にかなわない理由は、どうしても大友作品に「AKIRA」的なにかを求めているからだなぁ、と思った。

「AKIRA」的なにかは「GAMBO」と「武器よさらば」だなぁ、と思って見ていた。「武器よさらば」はメカメカしていて、痛烈なブラックジョークというか皮肉というか、そういうものも効いていて面白かった。

オープニングと九十九以外はどんどん人が死んでいって、つらいけど。



そんなもやもやした感想をTwitterでこぼしていて、フォロワーさんとオープニングのことについて話した。


オープニングはかくれんぼしていた幼い女の子がいつのまにか一人になっていてぬいぐるみのうさぎをおいかけているうちに不思議空間にいる。というものなんだけど。

私はそれを「ペローの赤ずきんちゃん」を思い出しながら見ていた。
童話の赤ずきんちゃんではなく、「オトナの童話」というアヤしい淫靡な解釈もできるあの「ペローの赤ずきんちゃん」だ。
幼女とオンナとオオカミと処女喪失とかなんとかいろいろあるヤツだ。

抽象的なオープニングは曖昧なのでいろんな解釈ができそうだった。
「抽象的だからどう解釈するか、で自分のヘキが詰め込まれちゃって得意げに説明していたらそういうはじゅかしい部分が暴露されちゃうんじゃない?」と思ったので、ペローの赤ずきんについてはツイートしなかった。
ブログに書いたけど。




短編アニメーションを見ながら、私は広島国際アニメーションフェスティバルのことを思い出していた。
一時期、縁あってそのイベントで上映される作品をたくさん見る機会があった。

特に好きだったのは、ヒロシマ賞への応募作品だった。

世界中から作品が集まるので、知らない言語のものもあるし、あっても英語字幕だけだったり、あるいはことばを一切使わない作品もたくさんあった。

10分程度の作品の中で世界が展開され、そして痛烈な皮肉とダークな風刺と丁寧に作られているクオリティの高さは楽しく楽しくて仕方なかった。

言葉がわからない、文化が違う。
ということから、作品から感じたこと解釈したことが、あとで解説を読むと「全然違ってる!」ことはよくあった。


抽象的なものに自分のフィルターを通して解釈すると、ヤバい誤解を生むこともあるし、隠しているつもりのヘキが露出しちゃうなぁ、とそのときも感じた。




「SHORT PEACE」はバラバラに見たいなぁ、と感じていた。
情報過多で余韻に浸る暇がほしかった。
あとで知ったのだけど、もともとはバラバラに作られていて、中には広島国際アニメーションフェスティバルで上映された作品もあった。

なるほどなぁ、とやたらと納得してしまった。



タイトルは「短い平和」ととらえていいのかどうか、悩んでいる。