編集

怒りが悪とは思わない


「怒り」という感情は悪いものだとされることが多い。

だから、なるべく怒らないようにするためのコツはたくさん紹介されている。
でも私は「怒りは悪いもの」だとは思わない。なぜなら怒りは「動き出すパワー」を生み出すからである。



かつてアットホームな雰囲気がウリの英会話教室に通ったことがある。日本人の旦那さんとアメリカ人の奥さんと、英語を教えるスタッフと生徒と、旦那さんと奥さんの小さな娘さんとが、解放された自宅でごっちゃごちゃに過ごしていた。
キッチンではスタッフが自分たちのために食事を用意し、隣のリビングでグループ英会話のレッスンがあり、小さな客間では一対一のレッスンがあったりしていた。

あるとき、お茶とお菓子をいただきながらのレッスンで、あるスケールを見せられた。
それは「怒り」と「砂糖」は「悪いもの」というメモリのついたものだった。
怒りのない、穏やかな感情は「素晴らしい」し、砂糖を使っていない食べ物は「素敵」で、「怒り」と「砂糖てんこ盛りのお菓子」はめちゃくちゃバッドだった。

そのちょっと前から「ここでレッスンしていても英会話力は伸びそうにないなぁ」と感じていたが、これが決定打だった。
レッスン料を払っている期間が切れたとき、私は更新をせず、そこを辞めた。



彼らの言いたいこともわかる。
怒りは誰かを傷つけるし、自分もしんどいし、いいこともない。
砂糖の取りすぎは健康に悪いし、油と砂糖を使ったお菓子はどんどん食べたくなる魅力の塊でなかなかやめられない。

でも。

そんなに全部否定するべきものなのか。
頭からすべて「悪」なのか。

疲れたときのチョコレートは身体に染み渡る。
温泉に入ったときのような「ああ~っ」という声を上げてもいいくらいのときもある。
その一粒と短い休憩が「よし、やろう」と次へ向かわせてくれることもある。


そして「怒り」。

私は普段、ずぼらな人間だが、たまにスイッチが入るとブルトーザーの如く派手に大胆に力強く動くことがある。
いくつか思い出してみると、印象的だったのは「怒り」スイッチが入ったときだった。

怖ろしい勢いで断捨離したり、すでに手にしているものを削除したり(ブログやSNSのアカウントも思い出も)、これまで自分が溜め込んできたモノも感情も一気に!
とても冷静に、とても正確に作業を続ける。
睡眠も休憩もなくてもへっちゃらだ。
とにかく動く動く動く。

それが終わると創造を始める。
同じものはいらない。



「感情的になってどうなの、それ」と思うかもしれない。
でもあの恐ろしいほどのエネルギーを放出しながらの作業と、同時に行われる内面の作業は「すごいものだ」と思う。
静かな心では絶対なしえない行動と、創造していくものたち。


そりゃ、いつもどっかんどっかん怒っている不機嫌な人は苦手だし、それを周りに当たり散らすのも好きじゃない。
だけど、あの「怒りスケール」で見せられたような考えは、私には合わない。