あなたではない人に届けたい
Twitterで「あなたではない人に届けたい本」として「非属の才能」が紹介されたツイートを見た。
さわや書店では、この「非属の才能」を、「あなたではない人にこそ、この本を薦めたい。」という一文から始まるフレーズが書かれた全帯で展開しています。この本を本当に必要とする人は、なかなか本屋に足を運んでくれないかもしれない、と思ったからです #非属の才能を届けたい pic.twitter.com/hR5vlgrqEZ— さわや書店フェザン店 (@SAWAYA_fezan) 2018年4月6日
添付された画像を見る限りでは「自己啓発本」というか「自分探しの旅人向けの本」というか「生き方」とかなんとか、そういうものっぽい印象を受けた。
もうちょっとネットで検索してみると
本屋大賞「中2男子に読ませたい!中2賞」(2011年)
受賞作品で「ふーん」と思った。
それだけなら「ふーん」で終わっていたと思うのに、このたび「本当に必要な人のところに届けたい」と全文無料公開(期限なし)した、とあった。
「ならば」と軽い気持ちで読んでみることにした。
私もいろいろ迷子な人生を送っていて、自己啓発や自分探し、生き方などの本を読み漁った時期がある。
最近では「方法が違うだけで、結局言っていることは全部同じに見える」と読むのを止めてしまっているけど。
ほんとに、野次馬的な軽い気持ちだった。
あなたに「非属の才能」がありますか
本文に入る前に全文を公開している「本がすき。」というサイト(光文社が運営。しかしサイトに自己紹介的なものが見受けられず、一体どういう誰がどういう目的で立ち上げたのかすぐにはわからないサイトだった)が添えた文章があった。
そこには
- 「空気が読めない奴」と言われたことのあるあなた
- まわりから浮いているあなた
- 「こんな世の中おかしい」と感じているあなた
- 本当は行列なんかに並びたくないと思っているあなた
- のけものになったことのあるあなた
と箇条書きで呼びかけられていた。
ここで引き返せばよかったのに、私は読み進んでしまう。
この箇条書きに対して一つずつ返事をしてみると
- 「空気が読めない」と一部でよく言われます。
- 浮いています。浮きまくっています。だから目立ちます。本人目立つ気ないのに、目立ちます。
- 「世の中おかしい」からといって改革しようとは思わないけれど、言っていることとやってることが全然違っているのに、違和感を持たずに「そうするものだ」と折り合いをつけることができる人がたくさんいてびっくり。
- この箇所はちょっとうなったけど、やっぱり当てはまる。「みんなが並んでいるから」という理由では行列には並びたくない。自分が関心を持てば熱くて強いなにかに突き動かされて並ぶことはよくある。
- のけもの。はー、小中高といじめっぽいこととなると、これが一番やられたな。
と、すべてに当てはまってしまった。
そして言われちゃうんだ。
おめでとうございます。
あなたには“非属の才能”があります。
えー、あんまり嬉しくないなぁ。
「はじめに」だけでお腹がいっぱい
こうしてやっと本文、といっても「はじめに」にたどり着き、読んでいく。そこには「どこにも属せない感覚」を持つ“非属の才能”とはどんなものかが説明されていた。
「みんなと同じ」というものに違和感と窮屈さを持つ感じ。
日本では「みんなと同じ」だと無難に過ごせる。
それで納得できればそれでいいんだけど、私は納得できない。
あと、「なぁなぁのムラ感覚」が受け付けられない。
生温くてそこにいられなくなる。
どうして同調を求められるのか。
自由意志、と言いながら無言で「イエスと言え」と圧力がかけられるのはなぜか。
「やってあげたからやってほしい」と見返りを強要されるのはどうしてか。
不必要に褒め合うのは、傷のなめ合いではないのか。
ムラの中のマウントを取った人の言うことが「絶対命令」のようになっているのはどうしてか。どうしてそんなにご機嫌を取るのか。
嫌ならムラから出ていけばいいじゃないか。
ひとりでカフェに行き、飲み物を楽しみながらひとりの時間を満喫するのが好きなのになぜ「ひとりでかわいそう」と言われなくてはいけないのか。
結婚、出産、子育てをしていない女性は「一人前ではない」と見なされるのか。
そんなことを考えながら読んでいて、「あ!」と思った。
わかった、ここには「私」のことが書いてある。
それからようやく本物の本文に入ったのだが、すぐに読むのがつらくなってやめてしまった。
さすが「中2賞」を取っただけある。
「私の中の中2」の万能感と深い闇の黒歴史が次々と思い出されて、しんどくなってきた。
浮いていたことでのけものにされて寂しくて悲しくて、生きていくのが嫌になったけど、誰も助けてくれなかった。
という中二全開の気分になってしまうからだ。
本文では、「非属の才能」の持ち主が生きづらく、心が折れそうになるのをどう回避し乗り越えていくか、がまず書かれていた。
それを読みながらも「ええ、ええ。そうでしょうとも。そうやったら回避できるかもしれませんよ。でもね、私はできるなら『みんなと同じ』に違和感を持たずに過ごしたい、と思っていましたよ。そうしたら苦しいことはなくなる。いや、それは言いすぎだけど、軽減されそう。いつでも寂しかったし、仲良くしたいと努力もした。けれどそれは自分に対して違和感を持つことになったので止めた」と、いまだ癒えていない「中二の傷」を掘り起こし、そして新たな「中二の傷」をつけていくことになった。
自分にとっての自傷行為になりそうで、日常生活が送れなくなりそうで、読むのを止めた。
それくらい、生々しい感覚で書かれていた文章だった。
自分の王様は自分
まぁ、こんな私だし、人生迷子になってスペイン巡礼にもガイドブックを持たずに一人で行っちゃったわけだけど。
そんないまだにこじらせている私が、どうやってきたかと言うと。「みんなと同じ」が受け付けられなくて、周りの目を気にすることなくしがらみもなく自由にするためには、「自分は自分に属する」ことにした。
そんな中で自分が大切にしているのが「自分の王様は自分」という言葉だ。
これは自分に命令できるのは自分しかいない、という意味だ。
自己決定をする。
自分の王国の王様でいる。
プライドは持つ。
国民が自分一人でも、王様でいる。
他の国には属さない。
私の国は小さい。
焚火の範囲だ。
キャンプファイヤーじゃないよ。
世界の涯てでお湯を沸かしお茶を飲む。
ふらりと立ち寄った人にはお茶をすすめてみる。
そこに飽きたら、リュックの中に持ち物を全部詰め込んでそこを後にする。
またどこかいい所で焚火をする。
するとそこが私の国だ。
そんな感覚でいる。
依然として「友達は少ない」し、日本では生きづらいし、「気の毒な人、可哀そうな人、なにか欠けた半人前の人」だと哀れまれ、常識のない人と陰口をたたかれることもあるけれど、中二の頃よりたくましくもなっていたり、もう面倒でそんなこと気にするのもしんどいこともあるので「テキトーなスルースキル」もちょっとは身につき、ラクにはなっている部分が大きいかも。
大人になるのがイヤだったけど、案外、中二のときの自分とあまり変わらないままだし、「自己責任と自由」を手に入れたらラクに息ができるようになったり、行動できるようになったりして、「大人になるのも悪いもんじゃないなぁ」と思っている。
最後まで読んでいないのに、感想を書くのもどうかと思ったけど、「はじめに」だけで随分な衝撃を受けたので、書くことにした。
■参考
◇山田玲司さん @yamadareiji
漫画家 山田玲司 公式サイト
あー、わかった!!!
この人、ニコ生で「ユーリ!!! on Ice」とアガペーについて語っていた人だー!!!
この人の切り口は面白いし、深く考えているし、ユーリの監督の山本沙代さんと親交のある方だー!!
「この人の言うことは信じられるな」と根拠なく思った。
よし、みんな、安心して「非属の才能」を読みなさい。
◇非属の才能 全文公開
非属の才能 | 本がすき。
そうかぁ、あの山田さんかぁ。
最後に山田さんのTwitterを調べたとき「あ、この絵、どこかで見たことある」と思い、サイトに飛んでみたら、やっぱりあの山田さんだった。
あの山田さんなら、もう一回、「非属の才能」を読んでみようかなぁ。
自己啓発本を読むとき、すごく身構えちゃうんだよね。
自分に陶酔していたり、「このやり方じゃないとダメ!すべてきっちり従わないと効果が出ない」と言われたりしていると、受け付けなくなる。
山田さんなら、安心感が違うなぁ。
そうかぁ。
今、すっごく嬉しいよ!
山田さんなら、つらくても飲み込めなくても生々しくても、読み進めようと思っちゃうよ。
それでまた挫折してもいいんだ。
ふふふ。
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