「夢」というより「野望」というほうが好き。
夢よりももっとぎらぎらして、突拍子もなくて、どこまでも自由で、綺麗じゃなくてもいいから。
自分の手帳の後ろのページに「野望リスト」を持っている私には、「野望」と聞くとこっそりにやりとほくそ笑む、というイメージ。
広島ぶろがー会で大下千恵先生(@yawn_c)を講師にお招きし、「野望の会」が開催されたのに参加した。
事前にあれこれ知っているとそれに振り回されそうなので、詳しいことはなにも調べずに行った。
あとは盛大な警戒心。
「夢」を取り扱うセミナーやイベントには、警戒心を持っている。
みんないい人になって、きらきらしていて、前だけを向いて明るいことだけを見て、清く正しく一生懸命努力しましょう!
って展開になったら、私、すごく苦手だもの。
そういう人がいてもいいけれど「みんな」っていうのが、苦手。
「あたいの野望はもっとドロドロしていて、のたうちまわって、黒いところも闇も影もあって、マグマどっかーんのところもあるし、いい人になりたいわけじゃないし、キラキラしてたいけどメッキは嫌だし、ピカピカのダイヤより波にもまれ削られ角が取れたビーチグラスのほうが好きなときもあるんだもん!」
私の野望のイメージは「信長の野望」だし(ゲームは未プレイ)、お子様ランチのチキンライスのようにどっかに旗を立てたいんだよ。
その「野望の会」は「野望を叶えるためにどうしたらいいのか」というものではなかった。
キラキラしてなくてもよかったし、修造みたいに燃えていなくてもよかった。
とにかく全力で話す聞く。
グループに分かれて自分の野望を話す。
他の人はそれを聞く。
単語が書かれたカードをその人の「価値観」「持っているもの」などに分けて置いていく。
置かれていくカードを見てどう感じたか話す。
置いた人はそのカードを選んだ理由を話す。
野望を話し、カードを置かれ理由を聞きどうだったかを話す。
「あー、言語化し明確化する作業なんだなぁ」と思った。
実際にやってみるとへとへとになるけれど。
大下先生もお話されたけど、「自分の中で思っていること」はとても曖昧でふわんふわんしている。
それを口に出しことばにすることで、「あー、自分はこんなことを思っていたんだ」と確認できるし、聞いているほうにもよくわかる。
野望を話す時間は3分。
短いようでかなりある。
そして思った以上に伝わってる。
全力で聞いてもらっているから。
話している人の目がキラッキラだったのが面白かったなぁ。
こんなにキラッキラになるんじゃあ!
こっちまで嬉しくなる感じ。
カードを選ぶ側になると、神経を研ぎ澄ます。
「選ぶカードが少ない人は語彙を増やしましょう」
という、大下先生のことばが印象的だった。
60枚近くあるカードをじっくり見る間もなく、選び取る作業はちょっとつらかった。
感じたことはあるのに、言いたいことはあるのに、どんなことばがそこにあるのか把握しきれない。
普段使っていることばに偏りがあるんだろうし、語彙はどんどん減っているような気がする。
本も読んでいないしなぁ。
自分が野望を話す番になって。
どう話そうかと思ったけど、淡々と話した。
自分の中を探り探り話すので、そんな感じになったかな。
ブログにも書いたことがあるし、他の人に言ったこともあるので、「こんなふうにやりたい」というものはしっかりあるんだけど、「限られた時間で声に出す」のは「書き直しもでき、時間を潤沢に使ってブログに書く」のとは全然違った。
置かれたカードを見て。
「やっぱりそうか」と、ちょっぴり苦笑い。
ちょっと前、いや随分前かな、の自分だとこうは思えなかったかも。
自分の理想と現実の差が大きくて、現実を示されると「違うもん!そうじゃないもん!誰もあたしのことわかってくれない!!」と閉じこもっていた。
時間も経ち、少しは大人になり、相変わらずの「現実の自分」を示され、「あー、やっぱりそうなんじゃなぁ。このベースは変わっていないんじゃなぁ。前の自分だったらすごくイラついたり悲しくなったり卑屈になったりしたかもなぁ」と思った。
このあたり、ことばやイメージに振り回されている自分がいる。
ほしいことばってあるじゃん。
明るくってかわいくって人に好かれてかわいがられて尊敬されて爽やかでいろんなことをそつなくやって…みたいなものの中の。
「あー、あのカードは選ばれなかったのかぁ」
と悲しくなったけど(だってほしいもん)、
「でも、あの野望の内容や話し方だと選ばないよなぁ。自分でも選ばないもん」
というので終わった。
そのカードがほしいために、自分に無理をさせたり「こんな自分は認めない!」という時期はもう卒業したから、よかった。
あと、枚数の多い少ないは極端なことにならなければ、そんなに気にしなくてもいいと思った。
少ないと寂しくも思うけど、そのカードを選んだ理由が話されるときの深さが大事なのかもなぁ、と思った。
一通り、グループの人全員が野望を話しカードを並べ…の作業が終わると最後に、
「これからのその人にエールを送るためのことば」を選ぶ。
これは楽しかった。
なんだかずっと集中しているので、なにかが研ぎ澄まされた感じで比較的さっと「これじゃ!」というものが選べたし、旅立ちにあたってのことばをもらうみたいだったし。
カードを並べて理由を言われて印象的だったのは、
「人より人間が好き」。
よくわからなくて聞いてみたら、同じものが好きだったり同じ方向を向いていたりする仲良くしたい「人」(多分、仲間・クラスタ・コミュニティなどがそれに当てはまる気がした)が好き、というのではなく、
「あなたはこういう人なのね!どこがあたしと違うのかしら?どこがあたしと同じなのかしら?それでここはどうなの?」と「人間そのもの」が好きなんじゃないか、ということだった。
その通り。
前回の広島ぶろがー会でお会いした人に「この前と違う。おとなしい」と言われたけれど、相当自分を抑えていた。
だって、好奇心刺激されまくりなんだもん。
これ、なにもなかったら
「その野望のここのところ、どういう感じですか?もうちょっと詳しく聞きたいんですが。どうしてそうしようと思ったのか、きっかけってなにかあるんですか?もしそうなったら、次こうしたいとかあります?」
と質問攻めにしてるよ。
全力で聞かずにさ。
「3分長いですね」
と野望を話すときによく聞いた。
私もそう思う。
用意してきた話す野望が尽き、
「わー、どうしよう!」
と絞り出し、最後の最後に言ったことが、案外、その人の一番奥底に秘めている野望かもしれない。
■おまけ
◇野望、いかがっすか?
会場はレトロビル。
広島県味噌会館、なんて初めて知ったよ!
入るのにちょっと勇気がいったし、わかりにくかったし、広島市内に詳しくない人もいるかもしれないので、「野望の会はコチラ!」とぞえさんに書いてもらった紙を持って、建物の入り口に立っていた。
きょろきょろしながら、ちょっぴり不安そうに、それでも「あ!野望の会だ!」と安心した様子の方もいらっしゃって、お役に立てたようで、あたし満足!
あと、道行く人が見るわ見るわ。
そして、
「野望?」
「野望!」
とか、とにかく野望に反応して声に出して通り過ぎていく。
面白かったわぁ。
ひとり、電柱や道路のなにかを写真に撮りながら歩いているおぢさまに話しかけられた。
野望、って人の心をくすぐることばかもしれない。
◇カメラがない
私の野望にカメラや写真に関する野望が全然なかったのに、あとで驚かれた。
うーん、個展開いたり、Instagramで有名になったりしたい、というのはないもんなぁ。
自分が「綺麗だな。素敵だな」と思ったものの自分が感じたままが、人に伝わるように撮れたら嬉しい。
◇イタコは抑え気味
もののとらえ方や本の読み方のタイプに「イタコ」がある、と彼女は言った。
恐山にいらっしゃる、あのイタコ。
作品の中にダイヴして、その世界に入り込むタイプ。
キリエもそのタイプだろう、と言われて、まぁ、そうなんだけど。
だからホラーやスプラッタ映画は見られない。
あれは作り物じゃなくて、私にはリアルだもの。
他にも日常生活に支障が出てしまうので、イタコになることは抑え気味か、自分の部屋に一人、誰にも迷惑がかからないところでは多少解放する。
これもあまりやりすぎると、「この世に戻ってこれなくなる」から。
大下先生のことや野望の会のことを調べていかなかったのも、これが理由。
知ってしまうとそれにとらわれて、自由に感じられるものも感じられなくなっちゃう。
■参考・関連
◇大下先生の野望の会
野望の会 - テレイドスコープ
野望の会に参加してみたい方、これまでの野望の会がどんなものだったのか知りたい方はこちら。
先生のブログですが、野望の会以外も面白い。
◇広島ぶろがー会
広島ブロガー会:ブログやSNS好きをリアルでつなげるオフ会 | 今、夢に生きる
次回は7月。1周年記念回。
Kyri*ate: 偏愛マップを書いて夢中になってしゃべる / 第9回広島ぶろがー会
初めて広島ぶろがー会に参加したときの様子。
◇キリエの野望シリーズ
Kyri*ate: キリエの野望リスト
2013年当時の野望。基本、そう変わっていない。
Kyri*ate: キリエの野望リストについて
Kyri*ate: キリエの野望リスト 2015年9月30日現在
Kyri*ate: 欲望を野望に変えて--2016年、キリエの野望リスト書き始め
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