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子どもの頃は、紫陽花があまり好きではなかった。
最近はたくさんの品種のアジサイを見るようになったけど、
その頃は「アジサイ」と「ガクアジサイ」くらいしか見なかったような気がする。
花びら、だと見ていたところが実はガクで、
他の花の花びらと比べて、もっさりしているような印象を持っていたのかもしれない。
自分の中で変わっていったのは、多分2つ理由があると思う。
ひとつは、スペイン巡礼で紫陽花を見たことだ。
「日本の梅雨と言えば、紫陽花とかたつむり!」という花を、
空気が乾いていて、標高が高く、日本のよく晴れた秋のような鋭い日差しの中で見たときには、
ひどく違和感を覚えながら、
とてもほっとしたり、日本を懐かしく思い出した。
「知ってる花が咲いている!」
「それも日本的だと思っていた花に!」
なんだか、そんなことを思いながら、
自分がとても日本を恋しく思っていることに気づいた。
あまりにその思いに気が取られると、
ひとりで先に進めなくなりそうで、
あまり直視しないようにしていたんだけれど、
「ああ、やっぱり日本が恋しいんだ、私」
と自覚した。
それ以降も、巡礼中、何度か紫陽花を見たけれど、
とても懐かしい気持ちになって、
紫陽花に好意を持つようになった。
2つめは、カメラを持ったこと。
それも私が「英介」と呼んでいるミラーレス一眼を持つようになってから。
それまでも花をよく撮っていたけれど、
紫陽花もよく撮るようになった。
私は道を歩いていて、
「あ!」
と思うものを撮るのだけど、
紫陽花を見て「あ!」となることが何度もある、ってことだ。
やっと紫陽花の美しさがわかるようなオトナになったのかもしれない。
前はそんなに紫陽花が好きではなかった
|2022/02/11子どもの頃は、紫陽花があまり好きではなかった。
最近はたくさんの品種のアジサイを見るようになったけど、
その頃は「アジサイ」と「ガクアジサイ」くらいしか見なかったような気がする。
花びら、だと見ていたところが実はガクで、
他の花の花びらと比べて、もっさりしているような印象を持っていたのかもしれない。
自分の中で変わっていったのは、多分2つ理由があると思う。
ひとつは、スペイン巡礼で紫陽花を見たことだ。
「日本の梅雨と言えば、紫陽花とかたつむり!」という花を、
空気が乾いていて、標高が高く、日本のよく晴れた秋のような鋭い日差しの中で見たときには、
ひどく違和感を覚えながら、
とてもほっとしたり、日本を懐かしく思い出した。
「知ってる花が咲いている!」
「それも日本的だと思っていた花に!」
なんだか、そんなことを思いながら、
自分がとても日本を恋しく思っていることに気づいた。
あまりにその思いに気が取られると、
ひとりで先に進めなくなりそうで、
あまり直視しないようにしていたんだけれど、
「ああ、やっぱり日本が恋しいんだ、私」
と自覚した。
それ以降も、巡礼中、何度か紫陽花を見たけれど、
とても懐かしい気持ちになって、
紫陽花に好意を持つようになった。
2つめは、カメラを持ったこと。
それも私が「英介」と呼んでいるミラーレス一眼を持つようになってから。
それまでも花をよく撮っていたけれど、
紫陽花もよく撮るようになった。
私は道を歩いていて、
「あ!」
と思うものを撮るのだけど、
紫陽花を見て「あ!」となることが何度もある、ってことだ。
やっと紫陽花の美しさがわかるようなオトナになったのかもしれない。
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