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モノと親と「わたし」と

2022/02/10







「ようこそ断捨離へ モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術」(やましたひでこ)を
なんとなく図書館で借りていて、
ぱらりぱらり、とめくっていた。


以前読んだことがあるような気がするんだけど、
そのときの私にはなんだかピンとこなくて、
そんなに印象に残っていない。




でも、今回は違った。

モノを手放す時、
一緒に住んでいる家族のモノのことも問題になる。

例えば、奥さんがどんどんモノを捨てても、
旦那さんのものがごっちゃり残っていたら、
清々しい空間にはならず、
ここで摩擦や葛藤が起こる。

あるいは、「もったいない」で捨てられない親、
または「親が買ってくれたものはなかなか捨てられない」と困ってしまう子ども。






本の中で、
「そうそう、これこれ!!

以前のブログで私が言いたかったのは、これよ!!」

と思った箇所があったので、抜粋します。




困ったことになるのなら、
問題の箇所を削除します。





『繰り返す断捨離で、
ずっと「自分を大切にしてこなかった自分」に気がついた。
親の価値観に知らず従っていた自分、
親の価値観に応えていない自分、
それを「後ろめたさ」として抱えている自分』

『「今までは、頭が心を無視していたことが多くて・・・」』

『「断捨離は、ハートに理性が従う感じで・・・」』





この本を読んでいたら、
まだ気になっていて、
「ホントは好きじゃないんだけど・・・」
という
親が買ってくれたものと
お友達からのいただきものを
「ありがとう」
と袋に入れました。







なんだか、自分の居場所について考えていたら、
断捨離なのか
ときめく片づけなのか
わからないけれど、
モノがやたらと動く。

ほとんどが手放す方向へ、なんだけど。







それから、
「思い出を語る」
「経験を語る」
という形を取りながら、
「今までのキリエの歴史」を振り返っている。


こんなに吐露したり、
オープンにしたりしていいのかしら?

と思うくらい。






「脱皮だ!」
と思っていたけれど、
これは違う。




このブログを立ち上げたときに似ている。

「まゆの中の作業」だ。






なんだか大がかり。







恐れていることもあるけれど、
今はなんだか清々しい。




このまま作業が進みますように。