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飯盛山

2021/09/09









喜多方を後にした私たちは、

会津若松に向かいました。







そして、飯盛山に行きました。







山は激しい階段を上っていきます。



日は傾きつつありましたが、

ぎらぎらと照りつける日差しは体力を奪います。







あがったところで、

一番に目に入った大きな木の新緑が美しくてたまらなくて、

写真を撮りました。













飯盛山、といえば白虎隊。



戊辰戦争のときに、

城下町の火災で上がった煙が

まるで鶴ヶ城が落ちたように見えたので、

少年たちで結成した白虎隊は自刃を決め、決行した場所です。









まずは19人のお墓を見ました。



それぞれに年齢が書いてあり、

16~17歳でした。



でも、きっと数え年だと思うので、

現在の年齢にしたら、15~16歳かしら。

そしたら、中3か高1じゃん・・・

と考えると、

いくら当時のその年の少年がもっと大人っぽかったとしても、

なんてむごいことだろう、

と思いました。











自刃の地も見ました。



コォが鶴ヶ城はあっちだ、と教えてくれました。



ここからの距離なら、見誤るかもしれない。

そう思うと、ますます悲しくなってきました。













ここでは全然、写真を撮る気がしなくて、

お墓も自刃の地も撮りませんでした。















そんな私の様子を見て、コォは心配そうでした。



「生きてなんぼよね」



と、つぶやいていました。









白虎隊も20名いて全員で自刃しましたが、

ひとり、蘇生したので、

このことが後世に伝わったのですが、

その生き残った彼のことも考えても、

そうつぶやいていました。







「そうだね」



とコォも答えましたが、

きっと彼の中ではもっと違うことが渦巻いていたのではないか、と思います。













二人はしばらく黙ったまま、

飯盛山から会津の街を眺めていました。



















■ 本日のTips












この写真を見てください。



右手の階段が、飯盛山の「心臓破りの階段」です。

相変わらずアルコールが残っていたし、

前日は東京の高尾山に登っていた私は

「うを~っ!

足、だるっっっ!!」

と叫びながら上っていました。





階段の左に長く続く屋根が見えるでしょう?



これはスロープコンベアです。

最初は150円ですが、

なんとこれは途中までしかいきません。

乗り換えたら、また新たな料金が発生します。





というのをコォも息を上げながら説明してくれました。









飯盛山に登るときは階段かスロープコンベアか

その時の体調や天候によってどうぞ。