喜多方を後にした私たちは、
会津若松に向かいました。
そして、飯盛山に行きました。
山は激しい階段を上っていきます。
日は傾きつつありましたが、
ぎらぎらと照りつける日差しは体力を奪います。
あがったところで、
一番に目に入った大きな木の新緑が美しくてたまらなくて、
写真を撮りました。
飯盛山、といえば白虎隊。
戊辰戦争のときに、
城下町の火災で上がった煙が
まるで鶴ヶ城が落ちたように見えたので、
少年たちで結成した白虎隊は自刃を決め、決行した場所です。
まずは19人のお墓を見ました。
それぞれに年齢が書いてあり、
16~17歳でした。
でも、きっと数え年だと思うので、
現在の年齢にしたら、15~16歳かしら。
そしたら、中3か高1じゃん・・・
と考えると、
いくら当時のその年の少年がもっと大人っぽかったとしても、
なんてむごいことだろう、
と思いました。
自刃の地も見ました。
コォが鶴ヶ城はあっちだ、と教えてくれました。
ここからの距離なら、見誤るかもしれない。
そう思うと、ますます悲しくなってきました。
ここでは全然、写真を撮る気がしなくて、
お墓も自刃の地も撮りませんでした。
そんな私の様子を見て、コォは心配そうでした。
「生きてなんぼよね」
と、つぶやいていました。
白虎隊も20名いて全員で自刃しましたが、
ひとり、蘇生したので、
このことが後世に伝わったのですが、
その生き残った彼のことも考えても、
そうつぶやいていました。
「そうだね」
とコォも答えましたが、
きっと彼の中ではもっと違うことが渦巻いていたのではないか、と思います。
二人はしばらく黙ったまま、
飯盛山から会津の街を眺めていました。
■ 本日のTips
この写真を見てください。
右手の階段が、飯盛山の「心臓破りの階段」です。
相変わらずアルコールが残っていたし、
前日は東京の高尾山に登っていた私は
「うを~っ!
足、だるっっっ!!」
と叫びながら上っていました。
階段の左に長く続く屋根が見えるでしょう?
これはスロープコンベアです。
最初は150円ですが、
なんとこれは途中までしかいきません。
乗り換えたら、また新たな料金が発生します。
というのをコォも息を上げながら説明してくれました。
飯盛山に登るときは階段かスロープコンベアか
その時の体調や天候によってどうぞ。
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