去年金沢に行ったとき、金沢城の石垣には参ってしまった。
番組でも取り上げられていたが、たくさんの種類の石垣があった。
まず、自然石を考えて積み上げていくタイプ。
どこにどの石を置くか、という技術が必要。
切り出した石を重ねるタイプ。
石と石の間に紙一枚入らない、というくらいぴっちりしたもの。
本当に綺麗で表面がちゅるちゅる、と表現したい。
植物の根というのは、アスファルトもぼこぼこにするくらいだから石垣に生えてしまうとそこから崩壊してしまうのではないか。
なので少しの隙間もないほうが草が生えなくていいのではないか、と勝手に想像する。
そして、なんでわざわざそんな積み方するんだよ!という積み上げ方。
四角い石をまんべんなく積み上げればいいじゃないか!
と思うのに、ことばでなんと説明すればいいのだろうか。
碁盤の目のようではなく、めちゃめちゃ手間がかかり、高度な技術が必要な積み方をしている。
これは表面がもっとちゅるちゅる。
石垣だけのアップで写真を撮ったら、きっと「美しい石畳」だと思われても仕方ない出来。
そんな石垣を見ながら「この城は戦(いくさ)向けにつくられたんでしょ?!だって、こんなに高いところにあるんだもん!質実剛健、でいいじゃん!なんでこんなに手間なことやってんの!なに考えてんのっ?!」とずっと叫んでいた。
なんというか、自分の中では「戦い」というときにはとにかく合理的に、無駄を省いて行動する、というイメージがあるので、この石垣の作り方は信じられなかった。
詳しい歴史的な流れは知らないが、金沢城公園には幾つかお茶室があって、その一つに玉泉庵がある。
実際にお抹茶をいただくことができる。
お茶室からは、玉泉院丸庭園がよく見える。
手入れの行き届いたお庭だなぁ、と呑気にしていたら、そこはお庭だけではなく、数種類の石垣を楽しめるように作られていた。
「ぎゃあ!石垣ふぇちのお庭かよ!」
と内心思いながらも、そんなことはおくびにも出さず、お澄まししてねりきりとお抹茶をいただいた。
幸いにも「戦(いくさ)」を体験したことはない。
大きな災害にも遭ったことがない。
しかし、家族が倒れたり、一人暮らしをして余裕がなくなったり、と自分としては追い詰められた状況にはなったことがある。
そんなとき、まず最初に省いたのが「美しいもの」だったかもしれない。
さっきの「質実剛健」で「合理的」。
無駄なものは切り捨てる。
もともとの性質のせいか、すぐに余裕をなくしてしまう。
「遊び」というものも失ってしまう。
そうすると、心も身体もかすかすになってしまう。
そうじゃない人もいる。
だから、そうじゃない人に憧れる。
でも、どうしてもその余裕が持てない。
余裕を失うとどんなにひどいことになるのかは、自分の人生で何度も経験しているので避けたいところだ。
なので、あれこれやってみる。
たとえば、お花を一輪でもいいから飾ってみる、とか。
余裕がなくなると水替えをしなくなる。
お花はすぐにだめになってでろでろになる。
悲しい気持ちでいっぱいになったり、気持ち悪いものを処理しなくてはならなくなったりして、そこで私は「花を飾る」ことを止めてしまう。
それも一つのテではある。
でも、お花を飾らなくなったからといって、私に余裕が生まれるわけでもなく、なんだか悲しくなってしまい……、と悪循環が生まれる。
美しいもの、に限らず、「その人らしくいるために必要なこと・もの」ってあると思う。
金沢城のお殿様の誰かは石垣だったんだろうし。
私の場合はノートブックかしら。
ボーナスが出るとお洋服につぎ込む人がいたけれど、私にはそれがちっともわからなかった。
その人には、1冊3000円もするノートブックを買う私の感覚はわからなかったかもしれない。
なにが好きで、なにに重きを置いているのか。
それって、「その人」を形成するのに大切なことのような気がする。
そのことが守られて、「好きだなぁ、いいなぁ」と言ったり、実際に買えたり、手に入れられたり、所有できたり、体験できるのって、すごく幸せなことじゃないかなぁ、と思う。
気に入らないものでも「安いから」と所有したり使用したりするのを強要されると、心が参る。
そういう余裕を失うことが怖い。
金銭的なこともあるけれど、精神的にも怖い。
まず、自分がなにが好きなのか、はっきりさせておく必要があるけれど。
希望がすべて叶うとは思ってはいないが、いろんな制約を取っ払って「自分がなにが好きなのか」「なにがしたいのか」を考えることは大切だ。
経済的に、年齢的に、状況的に、は、まず置いておくのだ。
次にどうやったらそれが叶うのか。
あるいは代替案はないのか。
それは本当にほしいものなのか。
誰かの真似っこをしたり、背伸びしたりカッコつけたりしていないのか。
そういう検証も、必要なときがあるよね。
最後まであがきたいな、「美しいものは無駄じゃない」って。
自分が好きなものだから、って。
今春、異動があった。
前の職場ではあれこれ負担が大きいところを担うことになり、頑張ってきたけれど最後の2年くらいは頑張りきれなくなっていた。
トラブルがあり、精神的に随分参った。
そんな状態のまま異動したが、これまでと違うのは当然だけど、なかなか過酷な場所だった。
久しぶりに「美しいものを見ても美しいと感じられない」という精神状態に陥った。
毎年楽しみにしている桜でさえ、満開の一番美しいときに私の心は凍っていて、のっぺらぼうになっていた。
生活の無駄なものは削ぎ落した。
必要最低限のことだけするとあとは体力温存のために寝ていた。
休みの日も出かけずに寝ていた。
友達に会うこともせず、本も読まず、大好きなノートブックに向かうこともせず、ただただ、仕事と食事と入浴とそれにまつわることくらいだけをしていた。
そうしたら、ことばを失ってしまった。
しゃべりたいことがない。
SNSの利用頻度が減った。
Twitterでなにかツイートしたかったが、ツイートしたいことがなかった。
自分が本当にのっぺらぼうだった。
体験したり、心が動かされたりしないと、ことばって生まれてこないのね。
なんてことを本気で感じた。
余裕がほしい、と熱望していた。
仕事行きたくない。
休みたい。
だましだまし連休を迎えた。
すっごく嬉しい。
美味しいものは美味しく、楽しいことは楽しく、美しいものは美しく感じられるようになった。
しみじみ、「あー、幸せだなぁ」と思った。
余裕を失うとはどういうことか、をまた体験してしまった。
回避しきれなかった。
脱出できてよかったな、と本気で思う。
「3000文字チャレンジ」に参加してみようと思い、特に何も考えずに「石」というお題を見て「じゃあ、石垣について書いてみよう」と書き始めたら、こんなところに着地するとは思わなかった。
3000字って結構な文量がある。
きっと構成だのなんだのきちんと考えないと、なに言ってるのかわけがわからなくなるし、読み手の人も途中で放り出してしまうと思う。
が、そんなことを考えずに書いたら、やっぱり今自分が一番気になっていることを書いていた。
面白いな、と思った。
もうそんな機会は欲しくないけど、もしまた心が麻痺して余裕がなくなったとき、今度は石垣のことを思い出すかもしれない。
そういえば、あんなブログ書いたなぁ、とセットで思い出すかもしれない。
金沢城で見た、お城を建てる組木の技術も、べんがらの赤い壁のお茶屋も美しい簪(かんざし)も、華やかな和菓子も、迫力の海鮮丼も思い出すかもしれない。
案外、いいかもな。
***
このブログ記事は、「3000文字チャレンジ」に参加したものである。
3000文字チャレンジ!第22弾!【石】— 3000文字チャレンジ公式アカウント (@challenge_3000) 2019年5月2日
3000文字チャレンジ。
22回目!
令和最初のお題です!
今回から運営をやらせていただく新管理人「なかの」です!
あらためまして、よろしくお願いします!
今回のテーマは『石』です!
以下のルール見てね↓↓↓↓↓
参加する場合は、アカウントの固定ツイートや、このツイートのスレッドもしっかり確認していただきたい。
3000文字、というのは何度も書いたことはあるが、ブログではあまり書かない。
GoogleBloggerを使っているが、「この記事は何文字」とカウントしてくれないので、べつのところで書いて字数を確認しながら書いた。
3000、長いな。
これを飽きさせないように書いていくって、相当な力量が必要だ。
それもレポートや「〇〇のやり方」ではなく、いわゆる「エッセイ」のようなもので持たせようとするんだもの。
つらかった。
中だるみして、ここまでたどりつけなかったとしても当然だよ。
私も途中でなに書いているかわからなくなってきたもの。
ルールに画像、動画、その他禁止、とあるので、息抜きもできなきゃ、場面転換もできないし。
これ、真面目にやってたら力つくかもしれないけど、3000文字のブログを書く筋肉がついていないと、ハードじゃなぁ。
それでもやってみようと思ったのは、文字数を気にしてブログを書いたことがなかったから。
他の場面ではありますよ。
字数や時間などの制限があるものを書いているし。
いや、すごかったわぁ。
あ、ツイートしたら画像が出るかもしれませんが、このブログには画像は仕込んでいません。
画像がないときは指定した画像が出るように設定したと思う。
参加してみた感想は、まず疲れました。
本気でやる人は構成など考えたほうがいいかも。
私はそういうのやらないので、ぶっちぎってなにも考えず書き始めちゃうけどね!
それから、このお題がいつまで有効なのか、わかりづらくて困ったなぁ。
新規の参加者にはわかりづらいところが幾つかあって、その一つがこれ。
お題が週に1度出されるのかどうなのか、お題に期限があるのかどうかもよくわからなくて。
公式アカウントのツイートも遡ってみたのですが、参加ブログのリツイートが多くてなかなかたどり着けず、「ええい、書いてしまえ!」と書いちゃったもので。
またやるか、と聞かれたら「やりたくなったら」と答えるしかないかな、今は。
公式さんもずっと「無理だけはするな!するな!」と声かけを何度もされていたのですが、書き終わってそれが沁みるよ。
それこそ余裕がないときに参加したら削ぎ取られちゃうかもしれない。
私は長いお休みの間に書けてよかったな。
これにて終了!
ありがとうございました。
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