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吉野ケ里遺跡、おすすめは北墳丘墓 / 佐賀 #kytb1710



吉野ケ里遺跡が見つかったニュースを聞いたときは、胸が躍った。
九州で大きな遺跡が見つかり、二階や三階建ての建物が建造され、力を持った人々が暮らしていた跡は、今なお所在が謎の「邪馬台国」の九州説を力強く推すものだからだ。


しかし、そのときの私が思ったのは、「あんな遠いところ、行けない」であった。

今回、鳥栖まで行くことがあり、地元の人に聞いたら「近くだよ」と教えてもらい、力が抜けてしまった。

鳥栖までは電車の本数はあるが、そこから「吉野ヶ里公園駅」までの電車の本数はぐっと少なくなるため、用心しておいたほうがいい。

それから、行くときには歩きやすい服装と靴、荷物。
そして日焼け対策。

軽い休憩しか挟まなかったのに、3時間かかっても全部見て回れなかった。
それも遮るものがないので、晴天だとちょっとつらい。
園内には小さなバスも走っているので上手に利用できると、身体への負担が少しでも減ると思う。



お腹いっぱいになるほど、竪穴住居や物見櫓をたっぷり見る。
中に入ったり、やぐらに上がったり。

その中で一番感動したのは「北墳丘墓」だった。





身分の高い人の甕棺が14も出てきたこの場所は、遺跡保存のため一度埋め戻された。
しかし劣化を防ぐ特殊な薬品をまき、屋根をつけたため湿度の管理ができるようになり、「発掘現場そのままを公開」できるようになった。

地層も見られるし、臨場感あふれる現場も見られるし、すごい!




広い吉野ケ里遺跡を歩きながら、あの大きな甕棺を焼く土器の技術もすごいし、建築の技術、養蚕と絹織物の技術、など、高い文明を持ち、広い土地を治め、力のある人がここにいたんだなぁ、と感じた。


初めて博多を回ることができる!という機会が来たとき、私は社会の地図帳を見て「板付遺跡」を見に行ったし、街なかの土塁も見た。

今回も吉野ケ里遺跡を見られて満足。
いつかは登呂遺跡が見たいな。


しかし、これらの遺跡は「コメづくり」が伝来している。
稲作が始まり、貧富の差ができ、力を持つ者が現れ、他のクニと戦うようになる。
それより私は、狩りをして移動するのに血が躍る。

なのに、竪穴住居を見るとわくわくしちゃうんだよなぁ。