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オチがなくてもいいんじゃない

2021/06/05




毎日のようにブログを書かなくなって久しい。
あるときふと、追われるように書いていたものを放り投げてしまったら、その解放感にうっとりして、拾い集めるのが嫌になった。



一方で「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さんのコラム「今日のダーリン」(毎日更新)や古賀史健さんのnote(平日更新)を読むと、「短くてもいいから毎日のようになにか書きたいなぁ」と思う。

まあ、ないものねだりの我儘なんだけど、ちょっぴり以前の「毎日のように書く」が懐かしくなっているのかもしれない。
ああ、全然書いていないわけじゃなくて、「毎日のようにブログを書く」のをやっていないだけなんだけどさ。


かねてから、それがなにか全然わかっていないのに「エッセイのようなブログが書きたい」と言っている。
となると、鋭い感性だの物事の切り取り具合だの、見せ方やらなんやら、というものが必要となる。
また、ある程度の「読んだあとの満足感」なんてものもほしくなる。

が、そんなことを目指していたら、ただでさえ離れているのに「毎日更新」なんてありえないじゃないか。



もうブログで有名になっちゃおう、つながりを作っちゃおう、儲けちゃおう、人の役に立っちゃおう、という野望はほとんどない。
必死にキャッチーなブログタイトルをつけていたこともあったけど、それもいらないや。
検索でそんなにひっかからなくてもいいや。
ってか、そんなに有名になってどうすんのさ?
ブログ界のご意見番になるのかい?


ああ、それでだ。
あれこれブログでの野望を持っていないなら好きにできるわけ。
いろんな鉄則だのルールだのを守らなくてもいいの。

そこで至った結論は「オチがなくてもいいんじゃない」だった。
オチだったり、まとめたりしようとするからハードルが高くなっちゃうわけで、いわゆる「習作」だったり「ラクガキ」だったりするものをそのままブログに載せてしまえばいいんじゃないか。



私の人生の中で比較的多く、「実験してみる」ということがあるので、ここはひとつ、気が向いたらこの「オチがないブログ」を書く実験をしてみようかと考えた。
狙って「オチなし」にするんじゃなくて、「オチがついたらつけるけど、ついていなくても載せちゃうよ」って感じ。



ただ、言っているだけで全然書かないかもしれないけれど、もうちょっと気楽にブログが書きたいなぁ、というお話。





■参考

ほぼ日刊イトイ新聞

古賀史健 note