夏休みの冒険のひとつに「うさぎをもふりに行こう」と、広島の大久野島に行った。
県の西にいるとはいえ、広島在住なのでもっと早くうさぎともふもふすることはできたが、私はずっと動けずにいた。
私の中で、大久野島は「うさぎ島」ではなく、「毒ガスの島」なのだ。
それらに触れることがとてもつらく、逃げて避けていた。
島に上陸しても、やはり怖かった。
避けたかったが、一緒にいった友達に、
「やっぱりお努めだから」
と言われ、私は毒ガス資料館に入ることにした。
地元のNHKが特集を組んだのをちらりと見たが、やはり本物を目の前にすると息がつまる。
まず大久野島全体が軍の要塞となり、毒ガスを製造し始めてから地図から消された。
異様な見た目の防毒マスク。
その内側にする、うっすい木綿のマスク。
陶器でできた、ガス製造のための器具。
そして、ガスのためにただれた皮膚。
あまりにも粗雑な装置や防護服での作業に、目まいがする。
私は足早に展示室を見て回り、建物の外に出た。
すぐそばにはビジターセンターがあり、海水浴を楽しむ人、うさぎに餌やりをしている観光客がいる。
ギャップに、自分の安定を失う。
炎天下だったが、私たちは島を歩いて回ることにした。
手に入れた地図には「ゆっくり歩いて外周1時間程度」と書いてあったから。
発電所跡
砲台跡
要塞跡
小さい島にはたくさんの跡が残っていた。
まるごと要塞だったことがよくわかる。
資料館の中には働いていた人の銀行の通帳などがあった。
本当に、特別ではなく普通の人がいたんだ。
そう思うと、いくらうさぎがかわいくても、私の心は沈んだままだった。
一方で、平和公園でお花見をすることをぼんやり思い出していた。
「あんな場所で浮かれるだなんて!」
という意見もあるけれど、こういうことができる幸せ、も感じている。
大久野島は地元の人にどう思われているんだろう。
こんなことを考えた終戦記念日。
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