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三行日記

2021/06/05


NHKの「FAMILY HISTORY」の壇蜜さんの回を見た。

その中に、彼女の母方の祖父の手帳が出てきた。

ポケットにするりと入るサイズで、ウィークリーのレフトタイプ(左ページに1週間の予定書き込めるようになっていて、右ページはフリーページのもの)。

そこに祖父は万年筆と思われる筆記用具で、3~4行の日記(あるいは日誌)をつけている。
小さな手帳なので、書けることは1つか2つ。
その日のハイライト、特に大切にしていた家族のことが書かれていた。

素敵な手帳だなぁ、と感じた。



2年ほど前から、私は自分のプライベート用のスケジュール帳をマンスリータイプからウィークリータイプに変えた。

普段、日記のようなものを書きつけるノートブックは持っているものの、毎日書くわけではなく、
日誌のような「本日の出来事」を書くものでもない。
そのとき、自分の中に浮かんだよしなしごとを書いている。

それまではこれで問題がなかったが、次第に困ったことになってきた。

家族が入院したり、病院に行くようになり、いつどんな病気をして、どの病院に行ったか、いつ入院したか、をとっさに報告する必要が増えたから。

そして、自分も「今日」という1日があったのに、せわしさに紛れて消えてしまうような感覚を持ったこと。
すべてを書き留めるような「ライフログ」を取るつもりはないけれど、
「あったはずの1日」がないことになってしまうのは、寂しかった。

淡々とした1日でも、なにかはあったはず。


それを書くために、私はウィークリータイプのスケジュール帳を持つようになった。
そして、三行(ぐらい)日記をつけるようになった。

書くことがないときには、その日食べたもので、気に入ったものを書いている。
一行のことも二行のこともある。
まとめて書くこともある。

淡々と続いている。


書いたからといって、なにがどう変わるものではない。
今のところ、素敵な変化はないけれど、なんだかそれが楽しいことになっている。


最近、よしなしごとを書いたノートブックを読み返すことが少なくなっている。
でも、なんとなく、この三行日記は読み返してもいいかな、と思うことがある。