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モレスキンのファンサイト・モレスキナリー誕生5周年を記念して募集されたモレスキンにまつわる物語に、
私のきらきらした2013年の物語を応募したことを覚えていますか?
私が応募したブログ記事 → ★
受賞作品の発表が4月5日から始まり、なんと私の物語が受賞しました!
4月に入り、
「あ、もうすぐモレスキンの物語賞発表だわ!」
と思っていたのですが、
新年度になり、忙殺。
4月5日も出勤で、昼休みにへろへろになりながらTwitterを読んでいて、受賞を知ったのでした。
そのときには発表のことなんてすっかり頭から飛んでいたので、びっくり。
当分、どきどきが止まらなくて、
なんだか信じられなくてふわふわして、
へんてこりんな人になっていました。
モレスキナリーのサイトをチェックして、自分の文章が載っているのを確認して、
モレスキナリーのツイートをリツイートして、
弟夫婦やお友達にお知らせして、
モレスキナリーの管理者のYOKOさんにしどろもどろでお礼を言って、
Instagramでもお知らせして、
ライターをやっているNotebookersでもお知らせとお礼を言って、
今、自分のブログを書いている、というところです。
モレスキナリーで2013年の物語賞の作品募集を初めて知ったとき、
私は
「書きたい!」
という衝動に突き動かされました。
けれども、募集内容は「過去5年分のモレスキンを読み返して印象深かったこと」でした。
私は2013年からモレスキンを使い始めたばかり。
そして、私が書きたいモレスキンの物語と言えば、父との最期の時間であって、
モレスキンに書き留めていた素敵なことばでもなく、
楽しくなるような使い方の工夫でもありませんでした。
すごーく考えて、父以外のことを書こうかとも思いましたが、
どうやっても、それしか浮かんできませんでした。
「じゃあ、書いて応募しちゃえ!」
とも思いましたが、それはあんまりにもあんまりなので、
管理人のYOKOさんに確認を取り、
安心して応募することに決めました。
同時に「応募したい!」と思った瞬間から、
私の頭には、私のモレスキンの物語がつづられ、
私はそれを忘れないようにするのが精一杯でした。
その時には、あの文章のほとんどが頭の中につづられ、
一部と最後だけを
本当にキーボードを打ちながら、じわりじわりと書いていきました。
自分が書いている、というより、
なにか憑き物に書かされているような感覚でした。
どこに書こうか、というのもちょっと考えました。
文章を書き、それをメールで送ることもできましたが、
この文章を「私のもの」としてそばに置きたい。
という思いが強くありました。
普段はそこまでではないので、これにも驚きました。
そして、去年の夏、
ちょうど父のところに通い始める直前に作ったGoogle Bloggerのこのブログ
「Turquoise and Pierce」に書くことに決めました。
父のことはブログにもTwitterにも明確に書くことはしていませんでした。
この作品をブログに載せることによって、それがオープンになってしまう。
少し戸惑いましたが、私はオープンにすることにしました。
なんていうんでしょう。
ちょっと違いますが
「失うものはなにもない」
と思ったときと同じような潔さが自分の中に現れてきました。
いつかあの3カ月のことをまとめて書きたい。
と思っていたのかもしれません。
なんだかあるはずのない「決められた道」を歩むように、
私は文章を書き、
写真をもう一度揃え、
ブログに投稿し、
モレスキナリーに応募しました。
やっと納骨も済ませ、
父も私たち家族も一息ついた感じでいます。
お父さん、あたし、やったよー!
まだ信じられないけど!
■本日の関連リンク
Moleskinerie 2013年の物語賞:Kyrieの夏、きらきら。 → ★★
Notebookersでのお知らせとお礼 → ★★★
よかったらご覧ください。
■本日のお礼
私をとりまくたくさんのあなたへ
いつもありがとう!
Moleskinerie 2013年の物語賞受賞とその舞台裏
|2021/08/31モレスキンのファンサイト・モレスキナリー誕生5周年を記念して募集されたモレスキンにまつわる物語に、
私のきらきらした2013年の物語を応募したことを覚えていますか?
私が応募したブログ記事 → ★
受賞作品の発表が4月5日から始まり、なんと私の物語が受賞しました!
4月に入り、
「あ、もうすぐモレスキンの物語賞発表だわ!」
と思っていたのですが、
新年度になり、忙殺。
4月5日も出勤で、昼休みにへろへろになりながらTwitterを読んでいて、受賞を知ったのでした。
そのときには発表のことなんてすっかり頭から飛んでいたので、びっくり。
当分、どきどきが止まらなくて、
なんだか信じられなくてふわふわして、
へんてこりんな人になっていました。
モレスキナリーのサイトをチェックして、自分の文章が載っているのを確認して、
モレスキナリーのツイートをリツイートして、
弟夫婦やお友達にお知らせして、
モレスキナリーの管理者のYOKOさんにしどろもどろでお礼を言って、
Instagramでもお知らせして、
ライターをやっているNotebookersでもお知らせとお礼を言って、
今、自分のブログを書いている、というところです。
モレスキナリーで2013年の物語賞の作品募集を初めて知ったとき、
私は
「書きたい!」
という衝動に突き動かされました。
けれども、募集内容は「過去5年分のモレスキンを読み返して印象深かったこと」でした。
私は2013年からモレスキンを使い始めたばかり。
そして、私が書きたいモレスキンの物語と言えば、父との最期の時間であって、
モレスキンに書き留めていた素敵なことばでもなく、
楽しくなるような使い方の工夫でもありませんでした。
すごーく考えて、父以外のことを書こうかとも思いましたが、
どうやっても、それしか浮かんできませんでした。
「じゃあ、書いて応募しちゃえ!」
とも思いましたが、それはあんまりにもあんまりなので、
管理人のYOKOさんに確認を取り、
安心して応募することに決めました。
同時に「応募したい!」と思った瞬間から、
私の頭には、私のモレスキンの物語がつづられ、
私はそれを忘れないようにするのが精一杯でした。
その時には、あの文章のほとんどが頭の中につづられ、
一部と最後だけを
本当にキーボードを打ちながら、じわりじわりと書いていきました。
自分が書いている、というより、
なにか憑き物に書かされているような感覚でした。
どこに書こうか、というのもちょっと考えました。
文章を書き、それをメールで送ることもできましたが、
この文章を「私のもの」としてそばに置きたい。
という思いが強くありました。
普段はそこまでではないので、これにも驚きました。
そして、去年の夏、
ちょうど父のところに通い始める直前に作ったGoogle Bloggerのこのブログ
「Turquoise and Pierce」に書くことに決めました。
父のことはブログにもTwitterにも明確に書くことはしていませんでした。
この作品をブログに載せることによって、それがオープンになってしまう。
少し戸惑いましたが、私はオープンにすることにしました。
なんていうんでしょう。
ちょっと違いますが
「失うものはなにもない」
と思ったときと同じような潔さが自分の中に現れてきました。
いつかあの3カ月のことをまとめて書きたい。
と思っていたのかもしれません。
なんだかあるはずのない「決められた道」を歩むように、
私は文章を書き、
写真をもう一度揃え、
ブログに投稿し、
モレスキナリーに応募しました。
やっと納骨も済ませ、
父も私たち家族も一息ついた感じでいます。
お父さん、あたし、やったよー!
まだ信じられないけど!
■本日の関連リンク
Moleskinerie 2013年の物語賞:Kyrieの夏、きらきら。 → ★★
Notebookersでのお知らせとお礼 → ★★★
よかったらご覧ください。
■本日のお礼
私をとりまくたくさんのあなたへ
いつもありがとう!
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