人との関係の持ち方につけられた名前がTwitterのトレンドに表示される。
それについてたくさんの人が自分の考えを述べている。
「人間関係リセット症候群」と名づけられ、SNSや他の連絡ツールにおいて、フォロー解除、アカウント削除、連絡先削除などなどをある日突然するというもの。
リセットする側
リセットされる側
の立場からの意見から始まり、アドバイスや分析などさまざま。
そもそも「症候群」っていうことばは、「なんとなくイイ感じ」の響きと意味で、時に便利に使われてしまうなぁ、と思う。
いろんな人がいて、いろんな人間関係があり、それに対していろんな考え方がある。
それは当然なんだけど、「自分の意見が正しい!」「自分の意見が正義!」みたいなものもたくさん見た。
そして自分の意見と違う人に対して、声高に自分の意見を言い続ける。相手を否定する。責める。
理解できないからといって、自分を理解してもらえないからといって、そんなに相手を責めたり従わせようとするのはどうかなぁ、と思いながら見ていた。
「私はこう思う」だけとか、加えても「だから私はこうする。あるいはこうしない」と考えを淡々と述べるだけでいいじゃん。
ちなみに私はリセットすることが多い。
理由はいくつかあるけど、きっとわかってもらえないからここでは書かない。
もちろん「リセットされる側」でもある。
ただ、SNSやっていて大きなことだったのは、
「SNSは内輪だけの世界ではない」と考えているのに、クローズドの場所ですればいい会話や誰かへの悪口、そして人前で言うにははばかられるような言葉をがんがん言って止まらない人たちに囲まれたとき
だった。
「私は嫌だ」と言うが止まらない。
みんな楽しいからいいじゃん、みたいなノリでどんどん進んでいく。
私は楽しくなかったし、SNSではその人たちだけフォローを外す、というのが難しくて、心が重たくなり胃が痛くなりし、そして選んだのが「アカウント削除」だった。
ある意味、追い詰められちゃったな、と思った。
そうまでしてつながっていたい、と思えなかった。
そのあと、もちろん他の人にも喧嘩を売ったようなことになったのでさんざんな言われようだったし、新しいアカウントはすぐにブロックされることもあったし、あれこれ言っていた人もいるようだったけど。
私はほっとしたんだ。
ま、他にも私の理由はあるんだけどね。
ただ、SNSじゃん。
今は知らないけど、Twitterなんて「人のさえずり、つぶやき」をのぞき見するツールじゃん。
基本はフォローもリムーブも自由な世界だった。
いつまでもつながっていられる。
なんて考えられない。
いつ、その人がサービスの利用を止めるか、アカウントを削除するか、それともお星さまになって使えなくなるか、やる気がなくなって放置されるのか、なんてわからないんだ。
「今、この一瞬」という世界でもある。
と、私は考える。
そう、「私はこう考える」を淡々と持っていればいい。
同意も批判もいらない。
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