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noteで記事を書いていたことを後悔しているわけじゃない

 


今年になって、2回、noteにチャレンジした。

1回目は4月。
全体ビュー目当てに。
しかし、この助平心はすぐに失敗を感じ取り、記事は削除した。


2回目は5月末から6月。
今度こそ、本気になろう、と思った。

書いても読まれないブログはちょっと虚しい。

SNSで見かけるブロガーさんとは仲良くなれそうもない。
私自身、励まし合うことをしないだろうし、フォロワー数〇〇〇人記念でのキャンペーンやつながりでは自分のブログを読んでもらえそうにないだろうと思っているから。

お役立ち記事は書かないし、収益は見込めないし。
「無意味」と言われる、雑記・日記ブログだからね。

そしてなにかしらの数があるか、初心者じゃないと相手にされにくい。

と思っている。

おおぅ、ブラックキリエが出すぎちゃった。


noteのほうが、自分が読みたいものがありそうだ、とも思ったから。

そして「ブログに書くより、noteに書くほうが読まれる」というのも読んだから。


あとは、アプリかな。
スマホからの更新がらくらくなのはいい。


そうやって書き始めたnoteだった。


いや、面白かったよ。

久しぶりに「書くって楽しいなぁ」と思った。

ちょいちょいハートマークが飛んできたり。リアクションがあるといいよね。

あとは解放感。

脱皮する前のTwitterとブログは、なんというか、猫かぶりだった。

ご存知の方は知っていると思うけど、私の中でオタク要素はなかなか強い。
深くはないし、小食で浅いけど。
それでも一番うきうきすることのひとつだし、イベントがあったりグッズが販売されると嬉しくなる。


でも、以前はそういうことをツイートしたりブログに書くのが、なんとなく憚られた。

なんというか、うーん、ひとむかし前の「オタクであることを隠さなくっちゃ」みたいな感じ、かな。
今でもそうなのかな。
だいぶ市民権を得たと思うけど。

一部にしか理解されにくいような楽しみ方は、時と場所を選ぶことも知っているつもり。


なんだけど、どうもなぁ。

棲み分けがあやふやになってきてさ。

あと、noteで出会う人は「はじめまして」の人も多いだろうから、とにかく「キリエの好き!」を詰め込んじゃおう!と思った。

だから平川大輔さんのことも、小野大輔さんのことも、TRDのこともがんがん書きまくった。
以前だったら、書いていないかも。


別に書く場所がないわけでもないけれど、なんとなくしっくりこなくてさぁ。

うーんと、仕事してたり家族といたりするときの自分とオタクの自分をちょっと混ぜたほうがしっくりくるな、と感じ始めたんだと思う。


noteでそれを混ぜた自分を書いていたら、楽しくなっちゃって。

でもnoteでも読まれないし、リアクションもなくなってきちゃってさ。

「同じ読まれないなら、ブログに書けばいいじゃん」と思って、ブログにも記事を書くようになった。


noteを書かなかったら、気がつかなかったかもなぁ、と思う。


手作業で記事を移し終えて、まぁ、無駄なことをした、と思う人がいるかもしれないが、私は「好きなものを好き!と素直に言えるようになったことは大事!」と思っている。


あとは、noteを手放しで楽しく使っていたわけじゃない。

縦で撮った写真がパソコンやブラウザからの更新だとアスペクト比がわやくちゃになって、使えないのはつらい。

アプリからだときれいに使えるけど、でもなぁ。

カメラで撮った写真はパソコンには取り込むけど、それをまたスマホに全部移すわけじゃないからなぁ。

という写真問題。


あとは炎上したことへの対応に、納得がいっていない。

これはでかいなぁ。


自分が書いたものをどこに投稿するか。
は、別のことでも真剣に悩んだことがあった。

そしてそのときも、不信感が払拭できなかったところからは引き上げることにした。

そこだと読まれるし、リアクションも取りやすい設計になっていて、ちょっとぐらついたけど、不信感はねぇ。どうも据わりが悪いよね。


というわけで、好きなものをぶち込んでいくスタイルでがんがん進むぜ。



Kyrie

2021.06.20.