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夏だ!暑いぞ!妖怪だ!
この時期に「妖怪をもってきたか」と思った。
夏休みシーズンになると、美術館や博物館も親子連れ、ファミリー向けの企画を打ち立てることが多い。
子どもが美術館に来るのはいいけれど、走り回ったり、大声でしゃべったりして、それをそのままにしている保護者にはむっとするし、撮影可能ポイントをいつまでもいつまでも独占されるのは辟易している。
ちょっとだけ、うんざりした気分で私は「ゲゲゲの人生展」に出かけた。
私は水木しげるという人を深くは知らない。
妖怪に関心が高く、戦争で片腕を失った、NHKの朝の連ドラにも取り上げられた漫画家だ、というくらい。
会場に入ってすぐに私は唸った。
「そうだ、特別展のタイトルには全然『妖怪』ってうたっていないじゃないか!」
内容はタイトル通り、「水木しげるさんへの追悼の思いを込めた、水木さんの人生展」だった。
幼少期からその「型にはまらない」様子や強いこだわり、のんのんばあと過ごした時間、など濃いものが詰まっていた。
今の中学生くらいに描かれた油絵は、すごくしっかりしていて、その歳の人が描いたと思えないくらいだった。
絵には詳しくないが、基礎や土台がしっかりしている感じで、そして「鬼太郎」や「悪魔くん」に見られる、私が勝手に呼んでいる「水木節」はあまり感じられない。
こういう絵も描くんだ、と思いながら、一方で先日見た「かこさとし展」のことを思い出していた。
かこさんもまた、10代の初め頃に描いた絵は土台がしっかりしていて、「かこ節」もあまり感じられないものだった。
それを経て、「自分らしさ」に行きつくのだろうか。
やがて水木さんの人生は戦争へと向かっていく。
南方に行かされた理由がこんなことなのか、と膝をつくくらいショックだった。
(ラッパ卒になったがうまく吹けないので配置換えを希望し、北と南のどちらがいいか聞かれ、寒いのが苦手なので南、と答えた)
たったこれだけのことで、片腕を失う道へ進んだのかもしれない、と思うとやりきれなかった。
水木さんがこんなにも戦争を題材とした漫画を描いているのを、私は知らなかった。
このあたりで私は「ほらほら、子ども向けの妖怪のキャラクターが並んでいるだけの展示じゃないんだ。美術館や博物館が取り上げる意味がここにあり、広島の夏に開催する意味もあるのだ」と勝手に鼻息が荒くなってきた。
終戦を迎え、「絵を描く人生」を選んでいく水木さんは、少しだけこれまでも見聞きしていたものがあった。
けれど、見せられた彼の生原稿や作品、漫画家になるまでに受けた仕事ぶり(紙芝居やあらゆるジャンルのイラスト。少女漫画のものもあって、あれはちょっと苦しそうだった。ぬりえ用のバレリーナのイラストだったけど、なんだか楽しくなさそう)は、緻密で美しかった。
そして膨大の量。
人気が出るまでの苦労話は結婚と共に語られる。
そして、作品は次第に「水木節」が濃厚になっていく。
南方のお面や、妖しい人形や置物などのコレクションが並べられていたコーナーでは小さな女の子が半泣きになっていた。
お化け屋敷が苦手な私も、正直つらかった。怖くて。
しかしそこに流れているナレーションは、南方に魅せられた水木さんが本気で移住しようとし、家族の大反対にあった、というもので、私は「幼少期の水木さん」を思い出しては、申し訳ないけれどくすりと笑っていた。
自分の父がそんな人だと大変だと思うけど、なんというか、「あー、水木さんなんだなー」と思った。
最後のあたりに奥様のインタビューの映像が流れていた。
「大きな人だと思った」「ついていこうと思った」と語られる言葉にぐっとくる。
そんな相手に出会えていいなぁ、と思った。
ご苦労もたくさんされていたエピソードも展示の中にあったけど。
物販コーナーでは、ゲゲゲの人生展のおみくじを引いた。
「大吉」
単純に嬉しかった。
私も世間だの常識だのからちょっと外れていると感じているし、それで生きづらくもあるし、またそれで非難の対象になることもある。
でも「大吉」で、背中をぽんと押された気がしたのだ。
よーし、あたしはあたしらしくあたしの道を進むぞ!
それが「世間一般から外れている」としても。
なんて、ここでもまた鼻息を荒くしていた。
■参考
追悼水木しげる ゲゲゲの人生展 | 広島県立美術館
会場内に一か所だけ撮影可能ポイントあり。
会場外では鬼太郎たちと一緒に撮影できるところあり。
鬼太郎の黄色と黒のしましまちゃんちゃんこの貸し出しもあり。
追悼水木しげる ゲゲゲの人生展 / 広島県立美術館
|2021/06/05夏だ!暑いぞ!妖怪だ!
この時期に「妖怪をもってきたか」と思った。
夏休みシーズンになると、美術館や博物館も親子連れ、ファミリー向けの企画を打ち立てることが多い。
子どもが美術館に来るのはいいけれど、走り回ったり、大声でしゃべったりして、それをそのままにしている保護者にはむっとするし、撮影可能ポイントをいつまでもいつまでも独占されるのは辟易している。
ちょっとだけ、うんざりした気分で私は「ゲゲゲの人生展」に出かけた。
私は水木しげるという人を深くは知らない。
妖怪に関心が高く、戦争で片腕を失った、NHKの朝の連ドラにも取り上げられた漫画家だ、というくらい。
会場に入ってすぐに私は唸った。
「そうだ、特別展のタイトルには全然『妖怪』ってうたっていないじゃないか!」
内容はタイトル通り、「水木しげるさんへの追悼の思いを込めた、水木さんの人生展」だった。
幼少期からその「型にはまらない」様子や強いこだわり、のんのんばあと過ごした時間、など濃いものが詰まっていた。
今の中学生くらいに描かれた油絵は、すごくしっかりしていて、その歳の人が描いたと思えないくらいだった。
絵には詳しくないが、基礎や土台がしっかりしている感じで、そして「鬼太郎」や「悪魔くん」に見られる、私が勝手に呼んでいる「水木節」はあまり感じられない。
こういう絵も描くんだ、と思いながら、一方で先日見た「かこさとし展」のことを思い出していた。
かこさんもまた、10代の初め頃に描いた絵は土台がしっかりしていて、「かこ節」もあまり感じられないものだった。
それを経て、「自分らしさ」に行きつくのだろうか。
やがて水木さんの人生は戦争へと向かっていく。
南方に行かされた理由がこんなことなのか、と膝をつくくらいショックだった。
(ラッパ卒になったがうまく吹けないので配置換えを希望し、北と南のどちらがいいか聞かれ、寒いのが苦手なので南、と答えた)
たったこれだけのことで、片腕を失う道へ進んだのかもしれない、と思うとやりきれなかった。
水木さんがこんなにも戦争を題材とした漫画を描いているのを、私は知らなかった。
このあたりで私は「ほらほら、子ども向けの妖怪のキャラクターが並んでいるだけの展示じゃないんだ。美術館や博物館が取り上げる意味がここにあり、広島の夏に開催する意味もあるのだ」と勝手に鼻息が荒くなってきた。
終戦を迎え、「絵を描く人生」を選んでいく水木さんは、少しだけこれまでも見聞きしていたものがあった。
けれど、見せられた彼の生原稿や作品、漫画家になるまでに受けた仕事ぶり(紙芝居やあらゆるジャンルのイラスト。少女漫画のものもあって、あれはちょっと苦しそうだった。ぬりえ用のバレリーナのイラストだったけど、なんだか楽しくなさそう)は、緻密で美しかった。
そして膨大の量。
人気が出るまでの苦労話は結婚と共に語られる。
そして、作品は次第に「水木節」が濃厚になっていく。
南方のお面や、妖しい人形や置物などのコレクションが並べられていたコーナーでは小さな女の子が半泣きになっていた。
お化け屋敷が苦手な私も、正直つらかった。怖くて。
しかしそこに流れているナレーションは、南方に魅せられた水木さんが本気で移住しようとし、家族の大反対にあった、というもので、私は「幼少期の水木さん」を思い出しては、申し訳ないけれどくすりと笑っていた。
自分の父がそんな人だと大変だと思うけど、なんというか、「あー、水木さんなんだなー」と思った。
最後のあたりに奥様のインタビューの映像が流れていた。
「大きな人だと思った」「ついていこうと思った」と語られる言葉にぐっとくる。
そんな相手に出会えていいなぁ、と思った。
ご苦労もたくさんされていたエピソードも展示の中にあったけど。
物販コーナーでは、ゲゲゲの人生展のおみくじを引いた。
「大吉」
単純に嬉しかった。
私も世間だの常識だのからちょっと外れていると感じているし、それで生きづらくもあるし、またそれで非難の対象になることもある。
でも「大吉」で、背中をぽんと押された気がしたのだ。
よーし、あたしはあたしらしくあたしの道を進むぞ!
それが「世間一般から外れている」としても。
なんて、ここでもまた鼻息を荒くしていた。
■参考
追悼水木しげる ゲゲゲの人生展 | 広島県立美術館
会場内に一か所だけ撮影可能ポイントあり。
会場外では鬼太郎たちと一緒に撮影できるところあり。
鬼太郎の黄色と黒のしましまちゃんちゃんこの貸し出しもあり。
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