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映画「君の名前で僕を呼んで」/ 感覚で観たので感想にならない

2021/10/01

※盛大なネタバレあり。閲覧注意
※つらつらと感じたことを時系列も考えずにただ書いているだけ。


35mmのフィルムで撮られた映画。

1983年夏、北イタリアのあるところに大学教授の父の助手として24歳のアメリカ人大学院生・オリヴァーがやってきた。
17歳のエリオは両親にたっぷり愛され、読書、編曲、夜遊びなどをして夏を過ごしていた。

自分勝手でがさつに見えるオリヴァーだが、「自分に素直に生きる」姿が気になっていく。
そしてオリヴァーも、エリオのことが気になる様子。



と始まりはざっとこんな感じ。

詳しいことはもう、「映画を見て!」と言うしかない。
どの作品もそうなんだけど。

そして泣きながら最後を見たので、これをなんとか言葉にしようと思い頑張ってみたところ、だめだめだった。
全然言葉にならない。
でも、確かに私は何かを感じ、自分の経験と混ぜ合わせながらこの作品を観ていたはずなのだ。

しばらくして、気がついた。
「そうか、私はこれを感覚で観ていたんだ」
そう考えるとすとんと落ちた。
自分がこれまで経験したときに感じた肌感覚を使って、この映画を観ていた。
肌から感じるものは私の中に染み込み、言語化できない感情や感覚が広がっていく。




「それでも」と、観てから1日経ち、言葉にできそうなものをノートに書き殴ったら、それですっとした。
大したことは書いていない。
やっぱり言葉にはできない。



まずは、余白の多さ。
セリフはそう多くなく、説明的なものもないので、いろんな知識があるとより楽しめる映画だな、と思った。

エリオの視線、行動、そういったもので何度も、それこそ「言語化されないエリオの気持ちや感情」を感じた。
そんな、17歳の子の気持ちなんて言語化できるはずないじゃん。
なんとも言えない、自分の中にモンスターがいるような、すごくナイーブで繊細で、残酷で、怖いもの知らなくて、エネルギーが渦巻いているようなヤツをさー。
それを「こうやって表現されちゃうと、もう、やだ!!ツライ」ときゅんきゅんしていた。

私はエリオ寄りで観ていたので、あの自分勝手で最初はイケ好かないヤツなのに、なんでこんな行動をするの?それってどういう意味?もしかして自分に気があるの?いや、からかわれているだけ?と、オリヴァーの行動から何かを感じ取ろうと必死だった部分もある。



全然関係ないけど、オリヴァーは24歳なのに見た目はもっと年上だなぁ、日本の感覚だからかしら?と思っていたら、やっぱりオリヴァー役の俳優さんは30歳を超えていた。
むぅ。
演技力などの関係だろう、とは思うのですが、身体に若さがもうちょいほしい。

エリオもオリヴァーも他の人たちも、「夏の日差し」に惜しげもなく肌を晒すんですね。
エリオはしょっちゅう、「それってトランクス1枚ですか?」という格好で家や敷地をうろつき、そのまま水場で泳ぎ始めたりもする。
そう、めちゃめちゃ肩甲骨が拝めます。
いいよ、肩甲骨。
エリオ役の俳優さんは20歳を超えているのですが、それでもまだ幼さの残る身体をしていらして。
オリヴァーもいい身体をしているのですが、どこまでも「24歳」にこだわった私がずっと気にしていただけです、はい。




娯楽が少ないんだなぁ。
テレビもそんなに見ていなかったし、ラジオもまだまだ高価そうだった。
そうなると読書や人と会ってしゃべることが最高の娯楽になる。
スイスで感じていたのと同じだった。




映像が綺麗。
心象風景、と言えるのかどうか。
どの作品についても、そこまで考えが至らないまま観てしまうのだけど、緑がたっぷりで。
アプリコットが象徴的。
まさかの使い方に「見てるこっちが恥ずかしいよっ、ばかあああああ!!」と思いながらも「ああ、17歳なんだよなぁ」と納得するしかなかった。

ちなみに、エリオとオリヴァーは身体を重ねるんだけど、どっちがトップでボトムかは直接的には描かれていなかった。
しかし、このアプリコットで「あ、そうなんだ」と察した、私は。



エリオのパパとママがサイコー!!!
これが一番言いたい!!!

まず、ママ。
「たっぷり女」で魔女のように英知も色気も、そして人生の綺麗でないところも知っていそうな人。
エリオのことを溺愛しすぎていて、ちょっと構いすぎだけど、最初からエリオのオリヴァーへの感情についてずばっと言ってくる。
でもそれは侵略的ではなくて、サバサバとスカっと言ってくれるので、かえって安心感を持つ。

そして、両親とエリオがくっつきもっつきしながらママがドイツ語の童話を訳しながらの朗読をしているとき、「なにかあったら、話を聞くわよ。頼ってね」とさりげなく言ってくれる。
サイコーだよ、ママ!!

夏も終わり、オリヴァーがアメリカに帰国する直前の数日間、エリオはオリヴァーと二人だけで小旅行に行き、そこで別れる。
そのあと、エリオは公衆電話からママに電話し、最後に泣きながら「お願いがあるんだ。迎えに来て」と言う。
するとママは車をぶっ飛ばして来てくれるの。
そして泣いている息子の頭をくしゅっとして、黙って運転してくれる。
ああ、そう!
これなのよ、これ!!

自分が感情的になっているとき、根ほり葉ほり聞く人いるじゃん。
あれ、私、ダメ。
「どうしたの?なんで泣いてるの?どこか痛いの?大丈夫?話なら聞くよ。なんでも話して?どうして話してくれないの?話せば楽になるよ」
あー、もう、少し静かにしておいてくれないかな!
必死になって、感情を抑えて断りを入れたら「せっかく助けてあげようと思ったのに。もっと頼りにしてくれたらいいのに」と言われる。
そんなだから、頼りにできないんだよ!

ママともう一人、エリオと同い年くらいの女の子が出てくるんだけど。
オリヴァーとのことで腹が立ったり、うまくいかなかったとき、ちょっと当てつけみたいに遊んだり抱いたりした女の子なんですけどね。
彼女も、冷静に考えたらエリオに相当ひどい扱いを受けている、と私は思うんだけど、最後におっとこ前でさー。
ほれぼれしちゃうよ!


そしてパパ。
いつも遠くから穏やかに見守っている、という感じだったんだけどね。
オリヴァーが帰国してから落ち込むエリオに言うんだ。
それがもう、「2018年ノートに書き留めておきたい言葉ベスト5」に入りそうな勢いで、私はパパの言葉を聞きながらも泣いちゃったよ。
しかし、きちんと覚えていないの……
ぼんやり覚えているのは

  • 今はつらいだろうが、この悲しみを殺してはいけない。
  • つらいだけじゃなかったはずだ。感じた喜びで自分を満たせ。
  • 多くの親はこういうことがあったら、止めさせたり、早く熱が冷めるのを待ったりする。しかし、自分はそういう親じゃない。
といったことで。
男性と恋愛した息子に対し、パパもママも受け留め受け入れてくれるの。
ああ、もう、このパパとママの子でいてよかった!!と思った。

1983年。
さばけてきたとはいえ、まだまだ理解を得るには厳しいと思う。
現在もそうだと思うけど。




そして、ラスト。
「あー、このラストしかないのかー」と、椅子に沈みこむ私。
夏から数か月経ち、あの緑にあふれていた場所は雪ですっぽり覆われている。
暖炉の火を眺めながら、少し大人っぽくなり、当時の流行りの髪形をし、ヘッドフォンをしたエリオが静かに泣くんだ。

ああ、もう、私もボロボロだよーーー!!!




もっともっと時間が経ったとき、あの夏のことをどうとらえているのか、私は2人に聞いてみたい。と思った。




それで、タイトルのことなんだけど。
私は初めてこのタイトルを知ったとき、意味がわからなかった。
原題の英語を見ても、そのまんまだったし。
作品を観てわかった。
オリヴァーが言うんだ。
セックスしたあと、まだ明けない夜のベッドの中で。
「君の名前で僕を呼んで。
僕の名前で君を呼ぶ」
だから、オリヴァーはエリオに向かって「オリヴァー」と呼び、エリオはオリヴァーに対して「エリオ」と呼びかける。
たったそれだけのことなんだけど。
気恥ずかしさもあるんだけど。
この相手と自分が混ざり合ったような感覚、わかるような気がした。
私はあなたであり、あなたは私である、みたいな。
二人はお互いを自分の名前で呼び、そしてぎゅうぎゅうするんだ。
ここでもきゅんきゅんして涙ぐんでた。




エリオ、綺麗でカッコいいし、男性同士の恋愛を扱っているし、いろいろ話題になっているけど、それだけじゃなくて、「動いた自分の心の軌跡」を書き留めておきたくなるようだった。
ますます言語化できない。







■参考

映画『君の名前で僕を呼んで』 | 4/27(金)TOHOシネマズ シャンテ、新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ他全国ロードショー!