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仕事で関わる小学2年生の子どもたちが、宿題をしながら愚痴を言っている。
「いいなー、オトナって。
宿題せんでもいいし。
先生、代わって」
と言うので、
「えぇじゃろう!」
と全力で自慢してやった。
しかし他の子が、
「じゃけど、オトナになったら仕事せんにゃあいけんのんよ」
と言い出した。
宿題がなくていいな、と言っていた子どもが「あ、そっか~」と言い出した。
私は負けじと反論する。
「でも仕事するけぇ、お金が稼げるし、好きなこともできるんよ。
しっかりしたオトナになりんさいね。
そのためには宿題せんにゃあ」
と最後には「面白くないオトナ」になってしまうんだけど。
思春期に入った頃、私は大人になるのに怯え、抗った。
大人になったら、子どものときに「いいな」と思っていた「ココロ」をすべて失うのだと思っていた。
それはとても怖かった。
しかし、いざ世間一般的に大人になってみると、そうでもなかった。
自分の経験の薄さや結婚・出産・子育てをしていないことからくるノンキさもあるのだろうが、コドモを色濃く残したまま現在に至る。
そのことに関し、お節介な人たちは「もっと大人にならなきゃ」とずっと私を諭してきた。
しかし、「大人になるってどういうことか?物分かりがよくなることなのか?もしそうなら、そんなのなりたくない!」と私は反抗を続けた。
なってみると責任は自分で負わなければならないが、自分らしくいられることのほうが増えた。
そうできる道を私は選んできたのだと思う。
きっとこの先も同じようなことを子どもから言われるだろう。
そのたびに「オトナってえぇじゃろう!」と全力で自慢したい。
そして「オトナになるっていいなぁ」と誰かが思ってくれたらいいな、と願う。
「オトナってえぇじゃろ!」と自慢した
|2021/06/05仕事で関わる小学2年生の子どもたちが、宿題をしながら愚痴を言っている。
「いいなー、オトナって。
宿題せんでもいいし。
先生、代わって」
と言うので、
「えぇじゃろう!」
と全力で自慢してやった。
しかし他の子が、
「じゃけど、オトナになったら仕事せんにゃあいけんのんよ」
と言い出した。
宿題がなくていいな、と言っていた子どもが「あ、そっか~」と言い出した。
私は負けじと反論する。
「でも仕事するけぇ、お金が稼げるし、好きなこともできるんよ。
しっかりしたオトナになりんさいね。
そのためには宿題せんにゃあ」
と最後には「面白くないオトナ」になってしまうんだけど。
思春期に入った頃、私は大人になるのに怯え、抗った。
大人になったら、子どものときに「いいな」と思っていた「ココロ」をすべて失うのだと思っていた。
それはとても怖かった。
しかし、いざ世間一般的に大人になってみると、そうでもなかった。
自分の経験の薄さや結婚・出産・子育てをしていないことからくるノンキさもあるのだろうが、コドモを色濃く残したまま現在に至る。
そのことに関し、お節介な人たちは「もっと大人にならなきゃ」とずっと私を諭してきた。
しかし、「大人になるってどういうことか?物分かりがよくなることなのか?もしそうなら、そんなのなりたくない!」と私は反抗を続けた。
なってみると責任は自分で負わなければならないが、自分らしくいられることのほうが増えた。
そうできる道を私は選んできたのだと思う。
きっとこの先も同じようなことを子どもから言われるだろう。
そのたびに「オトナってえぇじゃろう!」と全力で自慢したい。
そして「オトナになるっていいなぁ」と誰かが思ってくれたらいいな、と願う。
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