かねてからの懸案(?)で、ヒカリコとそば粉のガレットを食べに行った。
勢い余って、開店10分前に到着した私たちは、地下にあるお店が見える地上でおしゃべりをしながら待っていた。
お店の中の人と目が合うことがあり、恥ずかしかったけど、
ずーーーっと「食べに行こう」と言っていたことがやっと実行されたので、嬉しくなっていた。
やっとお店の看板が地上に出され、
当然の如く、私たちは開店一番の客になった。
ヒカリコは何度かここに来たことがあるので、いろいろ教えてくれる。
メニュー表を見ながら、たくさんあるガレットからどれを選ぼうか、
他の料理はどうしようか、
合わせるワインをどうしようか、
キャッキャとソムリエに相談しながら決める。
ワインも私のリクエストしたタイプのものを3種類持ってきてくれて選ぶのも楽しかったし、
お店の様子を見るのも楽しかったし、
お通しとして運ばれた「チーズを載せて焼いたシュー」も面白かった。
シュー生地にチーズとクミンシードを載せて焼いたもので、
チーズの塩みとサクサクのシュー、そしてエキゾチックな印象を与えるクミンの香りにも参った。
ワインのつまみにぴったりだった。
そんなことをしていたら、一番最初の料理が来た。
そのとき、サーヴしてくれた店員さんから言われた。
「楽しそうですねぇ」
私はとっても嬉しくなった。
この数年、「魅力的な人とは」ということを考えるようになった。
あれこれ「こんな人!」「こんな人!」と挙げていったが、
最後には「楽しそうにしている人」になった。
楽しそうにしている人を見るのは楽しい。
そして、なにがそんなにいいことがあるのかなぁ、と近づきたくなる。
いいお手本が身近にいる。母である。
結構つらいこともあったのに、いつも「楽しそうでいいねぇ」とちょっと嫌味も入ったふうにもあるが、多くはうらやましそうに言われる。
私も同じように思う。
彼女は単に、自分の生活をしているだけなのだが、
懸命さがあったり、
どこかピュアピュアだったり、
「好きなものは好き!」と愛情を込めたりしている。
他の人から見て「楽しそう」なのは、
自分が「楽しい」ときだから、
いろんなことを楽しくしていきたいなぁ、と思う。
「楽しくせねば」となるとウソになるので、
「自分がしたいこと、好きなことに素直になってやっていく」ようにしている。
私は、自分が天邪鬼なのを知っているので、
「素直になる」
というのはなかなか骨の折れることである。
あとは、計算をせず直感で選び取ること。
これには気をつけている。
このジュースが飲みたいのに、「20円引き」のジュースを選ぶ。
ようなことはしない。
こんなちっちゃなことが、大きいことになるんじゃないかなぁ、と思っている。
■本日の楽しい
おっと…
お店のメニュー表より。
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