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「いま、生きる力」  岡本敏子

2021/10/014







結婚ってなんだろう?

人を愛するってなんだろう?




そんなことを考えている私に薦めてくださった本を読んだ。





と、その前に。

太郎ちゃん…



失礼なのを承知で私は岡本太郎さんのことをそう呼んでいる。





太郎ちゃんの作品展には大きいものを2回見たことがあって、
他の展覧会より、見終わったあとヘトヘトに疲れて、
しばらく魂が痺れて動けなくなったり、
「明日の神話」の迫力に私の内の内の内がひどく揺さぶられて居ても立ってもいられなくなったり。

それから著書では、
「自分の中に毒を持て」
は、もう、自分のからだや精神が自分のものではなくなるような感覚になったり。

(迷ったら、危険なほうに進め。
とか、もう…
こうやって思い出して書いているだけで、うちふるえてくる。
読んでみてー!)






そんな




そんな太郎ちゃんをそばで見ていた人。

というのが敏子さんで、
彼女の迫力も少しは知っているつもりなので、
今回、この本を読むのは、
すっごくエネルギーを溜めて挑んだ。
(じゃないと跳ね返されそうなんだもん)







前半の「生き方」については、やっぱり迫力満点。
が、やはり太郎ちゃんのほうがもっとえぐくて、ぐっとくる。
好きで夢中になって読んだけど。

それより、彼女の太郎ちゃんへのまなざしがすごく気になる。








後半は男女や愛について。



読み終わって、溜息をついちゃった。







敏子さんは言う。

「私は女だから言う。
女がもう少し眼力を磨いて、
何でもない平凡な社会の普通の層に埋もれて、
でも光り輝いている男を認め、惚れ込んで、力づけることに生き甲斐を見出したら、
世の中はもっといきいきしてくるのではないか。
男女ともに、お互いの関係を深め、高めあって、一緒に大きくなる。
こんなワクワクすることはない」



このあと、もっと続くのだけど、引用しすぎのように感じるので、ここまで。







私、こんなに男に惚れ込んだことがあるのかしら?
と思い返すと、溜息がでちゃったの。



そして思い出すことも。








ヴォノが忙しくなって、私が満足いくほど関わりが持てなくなって、
寂しさと不安で渦巻いていたとき。
何人かの人が私に言った。

「関東に行っちゃえばいいのに!
押しかけていって一緒に暮したらいいのに」



それを考えなかったわけではないけれど、
私はそうしなかった。



きっと彼は忙しくて、私と一緒に住んでも私と関わる時間はないだろう。
私は疲れ切って余裕のない彼を見て、
寂しく思い、
また慣れない土地での不安から
「どうしてここまで来ちゃったんだろう!!!」
と自分も余裕を失い後悔して広島に帰る。

これしか思い描けなかった。




お互いをいたわる、というか、
彼を支える、
ということが一切考えられなかった。









これまで、ヴォノ以外の人とでもずっと遠距離恋愛ばかりしていた。
好んでしてきたわけじゃないけれど。

会いたいときに無理をすれば、
真夜中でも駆けつけることができる距離、に憧れた。
いや、今でも憧れている。




そして大概私のほうが自由な時間がたっぷりあって、
相手が忙しいので、
私は相手の都合に合わせるようになっていく。


待つばかり。

都合のいい女。

あたしばっかり…




こんなことが渦巻いていく。


この不安とどうしようもない苛立ちは、なかなか共有されない。

そして私は満足することがない。








「それでも、私はあなたを見つめていく!」
と強く思えなかった。

だんだん、
「本気で好きなら、もっと私を見てよ!」
に変わっていく。



気まぐれにメールなどを一切送らなかったり、
冷たいことをしたりして、
相手の気を引こうとする。






そしてうまくいかないのだ。







寂しいは募るばかりで。

相手は離れるばかりで。







私に対して本気じゃないのかしら?
魅力がないのかしら?
心の狭い、小さな人間なのかしら?
負担になって愛想を尽かされているんじゃないかしら?



私は自信を失い、
悲しくなってすべてを切り捨ててしまう。




「こんなのはイヤだ。
私は私の道を行く!」





こうやってひとりになって、歩きだす。










これが悪い、と思っているばかりではない。

あのまま固執していると、
私は得体のしれない気持ち悪い怪物になって、
自己制御を失いそうだから。









それでも






自分がとてもダメなオンナに思えて仕方ない。









そして堅い殻に身を隠す。

たまらずすぐに出てくるのにね。











「いくつもの週末」で江國さんが
小骨が嫌いで魚を食べない旦那さんのために骨を取ってあげる、と書いていたけれど、
私は正直「けっ」と思った。
けれど、彼女は、彼女も面倒だと思いながらも彼のために骨を取るのだ。






私にはそんなこと、当分できそうにない。













理屈とか論理とかそんなもののはるか遠くにこういったものがありそうだ。



というのが、2冊の本を読んだ感想だ。















敏子さんの本の中で一番共感できたのは、このくだりだ。


「ふっと見る眼が、何ともいえず寂しそうなときがある。
女なら抱きしめて、胸の谷間に、あるいは子宮のなかに押し込んで温めてやりたくなるような。
放ってはおけない気にさせる眼だ」


これは、敏子さんが別の本に書いたものからの引用だったけど。




これはすっごくよくわかる。






そして、すごく嬉しかった。

まるで縄文の時代から続く、
土偶に象徴されるように
私は自分の惚れた男を抱きしめてきたし、
これからも抱きしめていきたい。




次にまた戦いに行けるように
全身全霊で抱きしめていきたい。