iPhoneに「日記アプリ」が標準装備されそうだ。
精神と肉体とを健やかにするための日記、というか、「日誌」のほうが意味としてはぴったりなのかもしれない。
個人の日記、あるいは日誌のような、極めて個人的でデリケートなものをどこに書くのか。はとても重要なことだと思う。
アプリの安全性はどうなのでしょう。
アプリを利用して書くのと、ネットに上げるのとの違いもよくわかっていないのだけれども。
なんとなく「気をつけて進め!」とちょっと厳しめな声かけをしそうだ。
ちなみに私のこのブログは「公開絵日記」だと思っている。
ちゃんと読者がいると思っているので、とりあえず意味が通るような日本語にしているつもり。
読み直さないので(おいおい)、わかりづらいことも多いけど(読者がいるという設定はどこにいったのだ)、自分がノートや手帳に書いている日記や日誌とは書き方は明らかに違う。
「絵日記」の「絵」は写真。
内容に合っていようがいるまいが、気分で自分が撮った写真をぺちょぺちょと貼り付ける。
夏休みの宿題の絵日記は大嫌いだったけど、このブログの感じは好き。
夏休みの宿題の日記が嫌いな理由は「書くことがない」からだ。
親は忙しくて「夏休みだから特別」なことはなにもなかった。あと「絵」も真面目な絵じゃないといけないのが面倒だし。
色鉛筆で塗るには絵の面積はでかいし、絵の具なんてもっと面倒だし、そんなに毎日毎日絵に描きたいことなんてないんだもん。
日記をつける効果。は全然わからないけれど、楽しく書けたらいいなぁ、と思う。
ブログも手帳もそうだけど、「ねばらならない」でやるほど重きをおいてやりたいことなのかも考えたらいいかも。
お正月や新しい手帳が出ること、すごい意気込みを持った「日記やブログを書きます宣言」を見かけるけど、楽しくやったほうがいいし、定着しないのなら、別の方法でなにかしらの記録を取ることを考えてもいいんじゃないかな。
私が3行程度の日誌を書くのは、一昨日のことも忘れちゃうような生活をしているのと、コロナが激しく流行していた頃は自分の行動記録が重要視されていたので、それで真面目に書いていた。
今は今日やったことと気になることと、あとはなにもなかったら何を食べたかを書いているよ。毎食じゃなく、その日、一番印象に残った料理。あ、あとなに料理したかを書くこともあるな。私は断然お味噌汁と書くことが多いよ。
いえね。今日、ちょっと無理矢理めにブログを書いたのは、手帳やノートに向かうことがあまりなくなってきていて、ちょっと自分の中で危機感を持ったんだ。
余裕がないぞ。
わくわくすることが考えられない。
はぁ。スタバのメロンフラペも飲んでない。明日の最高気温は14℃予想。それも雨。寒いじゃん!
よしなしごとでもいいから、書きたいときには書いちゃえ書いちゃえ!
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