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風景画のはじまり コローから印象派へ / ひろしま美術館


先週行きたかった特別展に、ピクミンとスライムとほぼ日スニーカーをお供に行った。


なんだか不思議な感覚と時間だった。

鉄道が整備され、チューブ入り絵の具が発売されたことにより、画家はアトリエで「想像」で絵を描くのではなく、美しい景色のある土地に行き、実際の風景を見ながら絵を描くことができる時代になった。

と、今回は真面目にキャプションを読みながら鑑賞した。

冷静になって考えると、「なんて画期的なんだ!!!」と実際に当時使われていた持ち運びされた絵の具道具の展示を見ながら、心を躍らせた。
「今とあまり変化がない」というキャプションを読んで、「ほんまじゃあ」と深く深く感心し、感動した。


美しい森とその中にいる小さな人間、羊飼いと羊の群れ、牛、海と港に停泊している船。

画面は横に大きく広がり、空と土地。空と海。というものが多かった。

見始めてすぐに、私の心はひどく凪いでいた。

理由はわからない。

とても穏やかで、温かで、平穏なもので満ちていた。

「どうしたんだろう」と思ったが、焦ることはなく、とにかく落ち着いていた。


あとですごく冷静になろうと努めて考えたけれど、理由のひとつに「恐怖が描かれていない」があるかも、と思った。

生命を奪うような天災、たとえば嵐や、戦争、殺人、貧困、傷ついたり傷つけたりする事柄、疑心暗鬼になりそうな人間のえぐい部分が描かれていない。

私は心がえぐられるような気持ちにも、不安と恐怖で背筋がぞくぞくすることもなく、始終温かいものに包まれて作品を見終わった。



美術館の特別展の企画なんて、1~2年よりももっと前から立てられているのだと想像する。

今、この時期にこれらの美しい風景と、そしてお金持ちではない人たちの生活を描いた作品を見る意味のようなものをぼんやり考えた。

現実は貧困に苦しむ人たちがたくさんいたのかもしれない。

しかし絵画の中の人たちはそんなことはなく、景色もどこまでも美しい。


もしかして、私、思っている以上に不安にさらされているんじゃないか。


と思った。

ええ、もちろん、コロナのことが大きい。

コロナのことを除いても、大変なこと不安なことは近づいてきているし、助けてもらえる手立てはないし、あてにできる手段もない。

加えてコロナだ。


いつ私が感染するのか。いつ家族が感染するのか。

もし感染したらどうするのか。100%生き残る保証はない。

感染しなくてもこういう恐怖はあるけれど、「もっと確立が高いぞ」とか「いつも隣に存在してます」とか、「普段と違う」身近さ。

相当なストレスになっているんだなぁ。と思った。


なので、作品を見ながら包まれたあの「平穏な雰囲気」はとても貴重で大切な時間なんだなぁ。と一人で勝手に噛みしめていた。


 

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