※ネタバレあり
※感想メモ。まとまっていない。
画家を夢見てパリに行くが、才能がないと諦めてイギリスに帰ってきて医学生になったケリー。
ロンドンのカフェで働くウェイトレスのミルドレッド。
この二人が出会い、ケリーはミルドレッドに夢中になるが、びっくりするほど手酷く彼女はケリーを傷つけ振り回す。
気があるように見せて、他の男性と結婚すると言い出し。
しかし実はそれは嘘で不倫の末、妊娠すると捨てられてケリーに助けを求め。
ケリーの友達といい仲になり。
ケリーの大切にしてきた彼の描いた絵を切り裂き、本を破り捨て、叔父からの仕送りの小切手を燃やして出ていき。
覚えているだけでざっとこれくらいなんだけど、これだけでも眩暈するほど残酷にミルドレッドはケリーを振り回しているでしょ。
ケリーに同情はするんだけどさ。
その前にミルドレッドについて感じたこと。
貧乏な環境で育ったのではないか、と思うのよ。
そして彼女の美貌に魅かれて男性が寄ってくる。ケリーもそのひとり。
彼女は自分が持てるものを武器にして、生きてきたんだと思う。
ちやほやされるのを「愛されている」と思っているし。
美しいお人形じゃなくなったら、簡単にポイされて傷ついてきているとも思う。
そして多分、愛されたことがないから「愛する」ことがわからない。
彼女は不器用なりにケリーのことを愛そうとして、いろいろ頑張るシーンもある。
でも、それが空回りなんだよねぇ。
そしてそのケリーなんだけど。
彼も不器用な人だと思うわけよ。
本人は気づいていないっぽいけど、ミルドレッドは何度もそれに腹を立てるのだ、「私をばかにしないで!」って。
なんとなく、ミルドレッドを貧しくかわいそうで学のない人、として扱っているところがあるんだよねぇ。
なんでケリーはミルドレッドを好きになったんだろう。
やっぱり見た目?美しさ?
相手がどう思っているのか、あまり考えずに自分の思いだけでプロポーズするし。
まぁ、ちょっと世間知らずのところがありそうだったし。
パリにいたのになぁ(パリに対して、私が偏ったイメージを持っているせいかもしれないけど)。
ケリーは「頭食い」の人だと、私は勝手に思ってる。
「面食い」ではなくて「頭食い」。
なんとなく私もそういう女性のほうが心穏やかに過ごせそうな気がするんだよ、ケリーにとって。
ミルドレッドとの最初の失恋のあと、つき合った女性ノーラは包容力もある、そしてちょっとお母さんみたいに厳しく口うるさいところがある女性に結婚も視野に入れてるのよね。
ケリーはちょっとしたことでポイってしちゃうんだけど。
次に出会ったサリーは、ちょっと妹のような女性。
対等、というよりはケリーの後を従順についていく感じ。
でも父親がなかなかの人物のせいか、肝が据わっていてどーんとしている。
サリーに対しては、思わせぶりなこともするんだ。
ずるいな、と思う。
見終わったあとは、ミルドレッドにひどく振り回されて、ちょっと人生狂わせてしまったケリーを気の毒に思うんだけど。
ちょっと経って冷静になったら、ケリーも結構女性を振り回してるな、とも思った。
もしミルドレッドのような人が自分の近くにいたら、友達になりたくないし、近づきたくないなぁ。
でも人が彼女に魅了されるのもわかる気がする。
目が離せないし、いつもドキドキしちゃうんだもの。
生々しい人の心を覗いちゃった感じ。
先日見た「天井桟敷の人々」にも不器用な人たちがたくさん出てきて、まぁ、それだから映画になるんだろうけど、こう立て続けに「不器用なために幸せになれない人たち」を見させられると「ドラマのような恋愛の末のハッピーエンド」が見たくなるな。
あと、関係ないかもしれないけど、「痴人の愛」も「天井桟敷の人々」もモノクロ映画だった。
もし、これがカラーの作品だったら、もっと生々しくてもっともっとつらくなっていたかも。と思う。
もっとどうでもいいことだけど谷崎潤一郎が「痴人の愛」という作品を書いていて、映画化されているのね。
こちらの内容もちらりと見たけどくらくらするほど闇が深そうだった。
アメリカ映画の「痴人の愛」は、原作がサマセット・モームの「人間の絆」。なんで邦題を小説のままにしなかったのかしら。
ちょっとでも過激な感じがほしかったのかしらね。
私は「人間の絆」のほうが好きだけど、なんというか人間の愚かさも描かれているこの作品に「痴人の愛」という邦題をつけたのも、なんというかひりひりするうまくいかない人生への皮肉みたいなものを感じて捨てがたい。
■追記
この記事はnoteから移動させてきました。
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