編集

「75年間は草木も生えぬ」 -- 2020年8月6日 広島

2021/06/05

広島市中心部に原子爆弾が投下されて、75年が経ちました。

今朝の広島市長の平和宣言で「75年間は草木も生えぬ」と言われていた、というくだりがありました。

広島で生まれ育った私はその期間が「50年」のも「75年」のも聞いたことがあります。

どれが正しい、というより、「とんでもないことがおきたんだ!」という感覚の表れなんじゃないかな、と今、改めて思います。




現実には、75年を待たなくても草木は生え、街は動き出し、人々は生活をしてきました。

被爆後、初めて花を咲かせたのが「夾竹桃(キョウチクトウ)」だと言われており、広島市の市花となっています。
上の2枚の写真は白い夾竹桃ですが、濃いピンクの花を咲かせるものもあります。




「75年」という節目の年を迎えるにあたり、いろいろ計画や予定があったようですが、新型コロナウイルスの影響でそれらは中止になるものが多かったようです。


いつもなら8月に入ると少しずつその兆しが見え始め、前日の8月5日にもなると県外、海外から来た人で街なかはあふれるほどになります。

8月6日当日となると、行進をしたり、イベントを開いたりする人がたくさんいます。



今年はそういう人たちをほとんど見ませんでした。
こんなに外からの空気を感じない8月6日はここ最近なかったように思います。




県外の人を原爆ドームに案内すると「こんなに街なかにあるの?!」と驚かれることが多いです。
そうなんです、人々が普通に暮らしていた街の上空で爆発したのです。

とはいえ、私もあそこは「平和公園」なので「人々が暮らす街があった」というイメージがあまりありませんでした。
最初から「平和公園」ではなく、私が今暮らしているような街がそこにはあったのです。

原爆資料館に近いところで短い期間ですが、旧中島地区の被爆遺構の展示が行われています。
家があり、土間があり、そこで人が暮らしていたことがわかる遺構です。


原爆の持つ恐ろしいほどの破壊力とのちのちまで残る威力以外に、「突然奪われる日常の恐ろしさ」という観点から原爆や戦争のむごさを訴えることも増えているな、と感じています。


8月だけでなく、ほかのときでも「ただの日常生活ができる幸せ」を感じたり抱きしめたりできるといいな、とそっと思います。



■本日の写真
3枚とも、今年(2020年)6月下旬に平和公園で撮影したもの。


■平和宣言 2020年
平和宣言【令和2年(2020年)】