籠城週間2日目(5月4日)から、自室の大掛かりな片づけを始めた。
ずっと気にはなっていたが、なかなかエンジンがかからなかったが、今回はどういうタイミングかフルスロットルでがしがしと。
移動や引っ越しが頭にないもので、持ち物への緊張感が失われていた。
よくわからないものに囲まれていて、窮屈で困っていた。
去年のいつだったか。
木製のオープンシェルフの片づけをしたときに、一瞬火がついた。
見ると切なくなるけど、捨てられないもの。高級なもの。
でも持っているとどこかどんよりとして心が重たくなってしまうもの。
そういうものを「せっかくいただいたんだし」と長年保有していたが、そのとき「持たなくてもいいんじゃない?値段とか価値とかではなく、自分が嬉しいかどうかだよ。トキメキだよ!」とふと思った。
私は一回、片づけは終了したつもりだったが、その考えや視点からもう一度、シェルフの中身を全部取り出しやり直した。
すると一段分のものが消えた。
今回の片づけも同じような心持ちでやった。
集中力が切れると去年と同じようなことをしでかしていたので、そのときは片づけをやり直した。
好き。トキメキ。ニコニコ。こういうものは残す。
ちょっとでも嫌なものは仕事や公的書類などを除いて、手放す。
数年使っていないものはいらないもの。
ばっさばっさと捨てる。
箱が好きで溜めていたけどそれもさよなら。
ちょうど、冬服も洗濯して片づける。
着なかったもの、着てもちくちくして好きじゃないもの、長年着て傷んだものはさよなら。
そうやってものとお別れしたり、手放しているときにふと気づいた。
以前より、手放すのに思い切りがよくなっていた。
なんというか、「過去にとらわれなくなっていた」という感じ?
これはあの時の思い出。というものを持っていなくてもいい、という考えが増していた。
もともとそういうところがあり、情に薄く冷淡だ、と言われることもあるんだけど。
だって、私には「今」と「未来」しかないんだもん。
もうちょっと正確に言うと「今」しかない。
過去にどんなに親しくしていたって、会わなくなって連絡取らなくなったら、その人は私にとって「関係がなくなった人」なの。
年に1度、年賀状だけでつながっている人を私は「つながっている人」と認識しない。
人は変わっていくし、自分も変わっていく。
その時親しくして好ましく思っていても、今そうなのか、わからないじゃん。
今、きちんとつきあってみないとわからないじゃん!!!
まぁ、そういうワケで、SNSで「つながり」や「絆」と言われると「ごめん。ご期待に沿えそうもありません」と思っちゃうし、友達も少ない。SNSのフォロワー数も少ない。
フォローしているだけで「つながっている」とは思わないもの。
話がそれた。
そんなこんなで今回のお片づけは「このままお引越しするんじゃなかろうか」という勢いでやった。
片づけに入る前に、ごみの日確認もちゃんとしたよ!
5月4日、5日の夜は、お布団を敷くスペースがなかった。強引に敷いたけど。
本日6日にようやく目途がついて、お布団を敷くスペースは余裕で確保。
こたつ撤収もできた。
その間に冬物洗濯(毛布なども含む)もげしげしやって、ひつじのアメリちゃん(ドイツ生まれ。スイス経由で来日のぬいぐるみ)もついでに他のウールと共に洗ってやったさ!
今はまだ収集日を待っているごみが部屋の隅に積まれているけれど、それでもちょっとすっきりしたかも。
今日は暑かったし、なんだかひどく疲れていてへろへろしていたら、15時過ぎから頭痛が始まっちゃった。今も痛い。
普段、頭痛がないからどきどきして体温計った。36.1℃。
ものと対峙するって体力より気力を持っていかれるなぁ、というのも今回感じた。
いろいろ考えちゃうね。
過去、といえば、前に一度大々的に我が黒歴史を捨てん!という勢いで手帳やノートを処分して以来、ずっと取っているんだけど今回「そろそろ全部手放してもいいなぁ」と思うようになっていた。
次回の「お片づけの乱」ではこのあたりどうなっているかなぁ。
今回、やり残したところもあるけれど、ひとまず満足!やり切った!
お疲れちゃん!!!
■おまけ
夕方、おうちの人が不審な電話に対応。
おかしいと思った私が県外にいる弟に報告。
弟も不審に思い、警察に連絡。
どうやら詐欺電話らしく、警察官の方がお話を聞きにこられた!
相手は「警察署ですが」と名乗っていた。
諸注意もお聞きした。
ただでさえコロナで疲弊しているのに、やめてよう!
不審電話、不審メールにはみなさまもお気をつけください。
夕食直前のことだったので、ここでも果てた。
楽しみにしていた梅酒を飲むのを止めた。
むむぅ!明日飲む!!!
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