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映画「天気の子」 / リアルと作品の曖昧な境目

2021/10/01

※ネタバレ注意。

夏に映画を見ようとは思っていたが、見たい作品がなかった。
そんな中、先に見ていた少年が「あれは恋の話なんよ」と熱く語り始めたので、見てみることにした。



話の筋よりまず、私は作品の世界が気になった。
リアルな東京の街が詳細に描かれている。
ここで地方民の私は悪態をつく。

「どーせ、東京中心なんじゃから」

おそらく。
多分。
もし私が東京に生まれ育った。あるいは東京に長く住んでいる。のであれば、映画を見ている私と映画の中の世界はシームレスにつながっていただろう。
それくらいリアリティのある街があった。

が、それを体感できない自分は、なんだか蚊帳の外にいるみたいでぶーたれてしまう。


このリアリティをもっと肌感覚で現実に寄せているのは、食べ物。
ビッグマックやカップヌードル、ファミチキ……
「あ、あれ、知っとる!!」というものがそのまま描かれている。
なんちゃってもの、たとえば「ファミマ」っぽいコンビニはよく見ると「ファミモ」という店名になっているアレ、ではない。





作品への感想というかなんというか。
そのあたりをぽつぽつと。



冒頭からデジャヴ。
巨大な積乱雲。雷。空を飛ぶ、あるいは落ちる少女。空と水と魚と竜。
なんだかどっかで見たことあるなぁ、と思ったら、ジブリの宮崎駿作品でだった。
こんなところにとらわれていること自体、「宮崎作品の呪い」にかけられているのかもしれないなぁ、と思う。
好きだからいいんだけど。
あまり宮崎作品・ジブリ作品に影響を受けていない人が見たら、もうちょっとフレッシュな感覚で見られたのかも。



少女を「巫女」にするのが好きなのか、新海監督!
「君の名は。」しか見ていないんだけれど、またここでも少女が人柱だったり、お役目を担ったりしているのか。
そういうのが好きなのか!
いや、文句じゃなくて、そういうの課せられるとほんとつらいから、個人的にやめてほしい、と思っちゃうだけ。
わけもわからないうちに背負わされているの、やなんだ。
あと!少年が課せられてもいいじゃないか!
なんで女の子ばっかりなんだ!



3年経ったら、髪型変わるじゃろ!!
「君の名は。」でもあったかな。
時間が経っても同じ髪型、ってどうなのかな。
もうちょっと変わっているんじゃないかな。
あのふたつ結び、高3になってもするかなぁ。
陽菜さん、おしゃれさんな気がするからもっと変えてくると思うんだよなぁ。



拳銃はやりすぎではないか。
なんかさぁ、元に戻れないような気がしてさ。
すっごく怖かった。
取り返しのつかないところまで行っちゃうんじゃないか、って思って。
怖かったなぁ。



私の一番の推しどころ。
いなくなった陽菜ちゃんを探しに帆高があれこれぶっちぎって走るシーン。
警察ぶっちぎって、修理工事中の線路走って、夏樹さんのバイクで逃走して、須賀さん殴って、刑事さんもぶっとばして「なにもわかってないんだーーーー!!!」と叫びながら、走るところ。
なんていうか「話してごらんなさい」という大人は、大概、自分の都合のいいようにしか解釈しない、とか、自分のものさしや世界の中だけで理解しようとして「理解できない」とか、めちゃくちゃ歪んだ形で「理解しました」とか、言っちゃうんだ!
違う、って言ってももう取り合ってくれないし、他の大人はその大人の間違った解釈を聞いて納得したフリをして、誤解がまた誤解されて「理解した」につながっていくんだ。
違うんだ!
違うんだ!
という叫びに一番共感したかも。




長雨のつらさ。
冷夏を体験したことがある。
本当に晴れないと気分は陰鬱になり、どうしようもなく落ち込んで、イライラしていた。
だから「晴れをありがとう!」と言いたくなるのはよくわかる。




食えない大人、須賀さん。
声は誰だろう、と思い、最後のクレジットで驚いた。
小栗旬さんでしたか。
意外じゃった。
声優さんが演じていらっしゃるのだとばかり思った。





2回、3回と見たいか、と問われれば薄汚れっちまったオトナなので、1回でいいや。
だけど、語られる「恋」の基礎知識は持てたよ、少年。



もっと体感したかったなぁ。
この作品がリアルに食い込んでいく様を肌で感じたかった。




■参考

映画『天気の子』公式サイト