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【質問への答え】旅とは遺伝子に組み込まれている抗えないもの

2019/05/29

質問「旅って何ですか?」




この質問にはまだ追加があって、

  • なんで旅に出るの?
  • キリエにとって旅はどんなもの?
ということも含めて答えていこうと思う。





答え「キリエにとって旅とは遺伝子に組み込まれているもの」

気がついたときには、リュックサックとテントを背負っているスナフキンに憧れていた。
小さなころにふれたものの多くは旅をしていた。
私のひとりの「ごっこあそび」はいつも旅をしていた。
そのときには必ず、小さなメモ帳と短い鉛筆を持っていた。
もったいなくて、メモにはあまり書かなかったけど。



少し大きくなると、この事実に驚いた。
そしてちょっと考えてみた。

親に連れられていった旅行は、主に父親の趣味に付き合わされるものでつまらなかった。
しかし「乗り物に乗って遠くへ行く」、「未知のものにふれる」ことはすごく興奮した。



大学生になり、自分で旅行ができるようになった。
その頃はまだ、おしゃれ旅行をしようと思っていた。

が、次第に原点に戻る。

「リュックを背負って歩く旅」が自分にしっくりくるようになった。
がらがらとコロのついて旅行鞄を引くのは、しっくりこなかった。



どうしてこんなにどこかに行きたいのか、と考えた。
が、答えはでなかった。
内側から突き上げる衝動に従ったらこうなった、としか言いようがなかった。

スピリチュアルなものに詳しくないし、どこまで信じているのかと問われるととても曖昧なのだけど、「人の力が及ばないものがこの世にある」と思うし、どこか自分の魂の欠片がまた生まれ変わるという輪廻転生をちょっとだけ感じている。
信じているのではなくて、感じている。

ちなみに過去には僧侶、武士、ヨーロッパに生きた男、などそういう人生を歩んだんじゃないかなぁ、と勝手に感じている。
根拠はない。
なにもない。
ただ勝手に、一人でいること、旅をしたことがあること、なんとなく男性でいたことが多かったこと、などを感じている。
思春期こじらしている、と言われればそれまでだけど。



父の余命を知らされて亡くなるまでの3か月間、遠出と言うものをしなかった。
日帰り旅行やドライブもしなかった。
連絡があればすぐに家に帰ることのできる距離にいた。

家族のこととは別に、「遠くに行けない」というのがしんどかった。
30分でも1時間でもいい。
乗り物に乗ってどこかに行きたい、と思った。


父が亡くなってあらかたのことが終わったあと、私は母に「宮島に行かせてほしい」と言った。
半日で回ろうと思えばできる行き先だった。
私は久しぶりに、1日旅行をした。
一人で、静かに宮島を回った。
不思議な充足感があった。




ある頃から、自分が旅に出ることは遺伝子に組み込まれていることだから仕方ない、と思い始めた。
これが一番しっくりきた。
理由はない。
なぜ、どうして、には答えられない。
遺伝子に組み込まれているから旅に出るのだ。
そこで私は一人になり、一人を楽しむ。
自分が自分に戻るときであり、解放感に包まれる。





もちろん知らないものにふれるのが楽しい!というのもある。
温暖な地にしか暮らしたことがないので「雪が大量に降る生活」は想像できない。
知らない味、知らない匂い、知らない習慣。
体験したものが自分の中に蓄積していく実感。
浸る満足感。






ちなみに私はスペイン巡礼をしているときに「スナフキンのような旅人にはなれない」と痛感した。
旅人にもいろいろタイプがあって、スナフキンは「旅から旅をして生きていく」タイプだと考えている。
定住しないタイプだ。

カミーノでは常に移動している。
長くて3日間、同じ街に滞在もしたが、基本は先へ先へ進む。


それはとても私を疲弊させた。

他の人は私のことをアクティブな人だと思うこともあるが、現実は違う。
休日に一歩も外にでずに家で過ごすことなんてざらだ。
おうちにいるのは嫌いではない。
「ずっとおうちにいなさい!」と言われれば苦痛だけど。




私は旅に出ると、戻ってくるタイプだ。
日本史で「コメが伝来?!定住が始まっちゃうじゃないか!」と非常にがっくりしてしまうのだが、ある程度、定住する。

理想はですね。
まぁ、パートナーと二人暮らしをしている設定としましょう。
仮にパートナーを英介にしましょうか。

英介さんには私を束縛してほしくありません。
旅の予定も英介さんに相談せずに決めます。
「旅人のパートナー」になってしまったので、それはもう飲み込んでいただくしかない。
しかし、必ず一つだけ約束はする。

「必ずここへ帰ってくる」

これだけは約束する。



スペイン巡礼でも、「必ず帰ってくる」と約束したし、心配を少しでも減らそうとメールやはがきをできるだけ書いた。

1日1回は無事をお知らせする。


そして旅を終えると、かならず英介さんが待つ「おうち」に戻る。


これがさー。
私がふらふらするので、かつての恋人たちを相当不安にさせたみたいだ。
「帰ってくる」って約束したじゃん!
というのが私の言い分だ。

無事は知らせるが、その日の行動は逐一報告しない。
私は旅の中にいる。
旅に集中している。
考えられないのだ、他のことは。

それを「ひどい」、「心配でたまらない」、と言われると「うーん、あたいとつきあうの止めたほうがいいと思う」とばっさり提案しちゃうのだ。





こんな感じかな。
あまりいい答えになっていないと思うけど。

旅とはどんなもの、というのもこの中に潜んでいると思う。

もうちょっと書けば、去年言った金沢旅行のことだけど。

一人で本当にたっぷりの時間、好き放題に動き回った。
というのもここ数年の私の旅は「旅先に知り合いがいる」ものだった。
ひとり旅、と言いながら、旅先ではひとりではなかった。
なので「最初から最後までひとり」の旅は久しぶりだった。

いやー、満喫した!
好きなときに疲れたからとスタバで30分以上も座り込んで、モレスキンを書きながら、あれこれ考えたり。

なんて言うんでしょうね。
「私を再構築」した感じ。
こんなに自分の中で、あれこれ考えているのね、と思った。

このときはSNSは少しおとなしめにして、とにかく金沢と自分に集中した。
自分の中であふれてきた言葉や考え、思いをモレスキンに書き連ねた。


最近の旅なら、行ったところをメモするだけで精一杯なのに、金沢ではとにかくモレスキンに書きまくった。



  • 一人になる
  • 削ぐ
  • 内側の声を聞く
  • いざというときに自分になにができるかを常に考える
  • 決定はすべて自分でする
  • 周りの状況を把握する
  • 自分の身体の声も聞く
  • 休憩はたっぷり
  • お金のことより「やりたい衝動」や本能に従う
などをやったかな。



これが「キリエにとって旅とはどういうもの?」という質問の答えの手がかりになれば幸いである。






これくらいでしょうかね、さんがつさん。

満足がいくものにはなっていないと思いますが、なんていうんでしょう。
手っ取り早いのは会ってお話すること、または私が旅人モードになるときを見ることだと思います。



以前、ネットで知り合って旅先で会ったお友達の前で「旅人モード」のスイッチが入る瞬間が数回ありまして、そのときのお友達の驚きに驚いた!

どうやら空気や雰囲気が変わるそうですよ。

ちなみにどんなときかと言いますと、そこに住んでいるお友達にもわからない場所に行くとき、もっとよくわかっていない私が先頭を切るように歩き出したとき、のようです。




というところで、今回は終わり。


写真は「叢展」で見た大きなサボテン。
写真に撮ったらなんだかカッコよかった。
どこか孤独で、だけどすんごいサバイバル能力を発揮して生きているサボテンが今回のテーマにぴったりだと思い、この写真を選んだ。





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