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旅立ちの前



旅立つと決めるとうきうきして、とても旅慣れていると思われることが多い。
「違うんだよ」と言っても「またまた」と言われる。

ほんとに違うんだよ。




小さな旅でも、旅立ちの前は不安で、「どうしてこんなこと決めちゃったんだろう」と思う。
なぜわざわざ不安になることをお金も時間も労力もかけてしちゃうんだろう。

何時間も乗り物に揺られ、見知らぬ土地へ行こうと私はするのだろう。


知らない場所、人。
とても苦手だ。
人見知りをするし、新しいものに慣れるのに時間がかかる。

こんなに自分のことを知っているのに、どうしてそうするんだろう。



自分の場合は「遺伝子に組み込まれているから」としか言いようがない。

父が亡くなるまでの数か月、私は遠出をすることを止めた。
出かけるのは、自宅から自転車ですぐに帰ることができる範囲にしていた。
他の家族はもっと遠くに行ってもいい、と言ってくれたが、いざというとき、「母一人で対応しなくてはいけない」状態にはしたくなかった。
30分もしないうちに、母の元へ駆けつけられるようにしておきたかった。

これはかなり苦痛だった。
たったこれだけのことで、外出が制限されているわけでもなく。
年に1~2回、旅行に行くだけだったのにも関わらず、私はいつも「私を旅に行かせてくれ」と願っていた。

父が亡くなり、1週間でひと段落ついたとき、私は母に「宮島に行かせてくれ」と言い、そうした。


広島駅から1時間もかからずに宮島に到着するのだが、たったそれだけで「ああ」と私は息を漏らした。
やっと解放された気がした。

自由に出歩ける、と感じた。




こんななのに、私は旅立ちの前には不安で泣きそうになる。
怖くて「なんでこんなことしちゃったんだろ」と後悔し、過去の自分を、旅立ちを決定した自分をちょっぴり責める。



突然こんなことを書いたのは、しばらく旅に出られそうになくて、機会を狙い、短期間に2つの旅を組んだからだ。

せっせと荷造りもし、宿を取り、下調べもちょっぴりしているのに、往生際が悪く、私は泣きそうになっている。