編集

日記といふものは「見せ日記」が前提 / 石川ユーリオさんへのお返事

2021/09/16




私の思いつき(?)で「なんだかお手紙をもらったみたい」とお返事を書いたら、
「ブログ文通」が始まっていました。

「寄稿」とはまた違った感じですが、
人様のブログに登場したり、
人様のブログが登場したりと、なかなか楽しいです。



そのブログ文通相手の石川ユーリオさん(@ishikawayulio)からのお手紙がこちら。


Kyrieさんからお手紙が届いたようなのでブログ文通でお返事書きます



何の気なしに書いたことが、人になにかしらの影響を与えている、ということに
「わわわわ、どうしよう!!」
と動揺が隠せないものの、
自分もたくさんの人から影響を受けているので、お互い様ですね。

影響を受けすぎて、「自分」がなくなってしまうのも考えものですが、
自分(内側)と外からのものがブレンドされて、より深く奥行きのある自分が形成されるのは、とても面白いものだと思います。



さて、石川さんは私の手紙から「日記ブログ」を書くことを決め、はてなブログでそれが始まりました。


ユーリオニッキ


えらく長いものが生成されたなぁ、Embedさん…

以前、私も書きましたが、「PVが取れない」「有名人じゃないと関心を持ってもらえない」とも言われる「日記ブログ」です。


このブログが誕生する経緯をお手紙で読みながら、私が思い出していたのは「土佐日記」です。
書いたのは紀貫之。
れっきとした男性ですが、冒頭には
「男が書く『日記』というものを私も書いてみちゃおうかしら」
と、まるで自分が女性のように書かれています。
実際はこんな軽いノリではないですけど。



日本文学のジャンルでも「日記文学」というものがあり、「土佐日記」もこれに分類されます。

当時の日記は主に男性が漢文で「見せるのを前提」で書く日誌のようなものでした。

今のように私的なものを書くようになったのは、もっと時代が下ってからです。


貫之が世の男性と同じく日記を書くのにわざわざ自分を女性のように演出しているのは、
この「土佐日記」が「かな」で書かれているからです。

「枕草子」や「源氏物語」など、女流文学が華開いた頃は、漢字をくずした「かな」で表記されていました。


堅苦しい「漢文」を使わず、のびのびと書ける「かな」表記での日記は、貫之にとって面白いものだったのかもしれませんね。
彼は有名な歌人でもありますから、きっと「ことば」への感覚がとても敏感で柔軟だったのかもしれません。

今だって、短歌や俳句、あるいは詩をたしなむ人達のことばの感覚は、とても敏感ですもの。




石川さんの日記も、当初は「私的なこと」として書かれていますが、
こうやってブログとしてネット上にオープンにされているのを見て、
「あー、ブログって『見せ日記』だなぁ。
やってることは1000年前と変わんねーんじゃないの?」
なんて、ふと思ってしまいました。

だからなんなんだ、と言われてもオチがなく、
きっと関西方面の方には非常にウケが悪いと思います。



石川さんの「日記」はリアルな日記で、2011年のものから始まっています。
東日本大震災があった年です。
そのことにふれる記述があるのかどうなのかわかりませんが、
淡々と書かれている、その日々の積み重ねが「人生」の大半を作りだしているんだなぁ、
と、改めて思いました。




「日記文学」は文学としても面白いですが、
当時の風俗や習慣を知る資料としても大変面白いです。

「土佐日記」は土佐から京に帰る様子が書かれた「紀行文」としてもすぐれています。
私の好きな「旅日記」ですな。




9月に入り、今年はシルバーウィークもあるので、旅行に行く人も多いかも。
手帳の季節でもあります。

お正月に「書こう!」と思った日記や手帳が止まっている人は、
ちょっとした一言を書き留めてみるのも面白いかもしれませんよ。


今回もこんな具合で長々と書いてしまいました。

では、お元気で。


白ヤギ・石川ユーリオさま


黒ヤギ・キリエより




■本日のラベル

続くかもしれないので、新たに「letters」のラベルを作成しました。