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すべての経験を体験に変える必要はない。しかし時が満ちて不意に経験に変わることがあるのでたくさん体験しておいたほうがいい。

2022/01/27





経験と体験の違い。

というのを先日聞いた。



経験は、自分の上で起こったものごと。

経験と体験の違いは、
その経験を自分のものとしたときに経験は体験に変わる。のだそうだ。


この話は研修で聞いたんだけど、
この研修の前にもう一つ研修を受けていて、
「前の研修の話を思い出し、この研修のグループ討議で使ったら経験になるんだ」ということだった。

(余談だけど、このグループ討議は1時間あった。
前後1時間ずつ事例発表や解説がくっついていたので3時間の研修だったけど、
1時間たっぷりグループ討議があったのは初めてで、
「話し切った!!」
と、すごい満足感に浸った。
中身盛り過ぎでグループ討議の時間が短かすぎることが多いので、
「グループ討議をメイン」と考えているのなら
中身を削いで討議に時間を割くべきだ)



このあと、講師の先生は
「いかに経験を体験に変えるには」
ということをお話されたが私は別のことを考えていた。


経験を自分のものにして体験とする。

それは大事だけど、
なんでもかんでもすべてを「体験」にしなくてもいいじゃん。

それやったら忙しすぎて、目が回っちゃう。
余裕がなくなっちゃう。

欲ばりもほどほどにしなくちゃ。



でもね。
いつ「経験」が「体験」に変わるかわからないの。

あるとき、不意に、
大概は困った時だけど、
「そういえば、これやったことある!」
「似たようなことしたことがある!」
と、困難を打破するきっかけになることがたくさんある。

実際に自分が経験したことじゃなくて、
親がやっていたのを見ていただけ、でもいいの。

そういうことがたくさんあるなぁ、と最近、よく感じる。

じーちゃんがこうしていた。

とーさんがこうしていた。

ばーちゃんがこうしていた。


ただ見ていただけなのに、こうやって幾つかのことが伝承されるのかもね。





スペイン巡礼では、困ったことがいくつもあったけれど、
日本で、自分一人では登らなかった2000mの山々を登って、テントで過ごした経験は、
山登りに近い行程がたくさんあるカミーノでは、
それは体験として現れ、
何度も私を助けてくれた。



もし、あの山登りをさせてもらっていなかったら、
私の状態はもっと過酷で深刻なものになっていたかもしれない。




経験はたくさんしておいたほうがいいな。

痛感する。