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戦争や原爆を取り扱った作品を私は積極的に見ません。
見終わったあと、
なかなか元気にならずに、
ひどく落ち込みすぎてしまうからです。
原因はいろいろあるでしょうが、
あまりのしんどさに
少し避けています。
しかし、今回は、マリオとルイージのお誘いがあり、
原爆を取り扱った映画「運命の背中」を見ることにしました。
監督の出山さんのトークショウもありました。
彼の顔を見たときに、きゃあきゃあしてしまいました。
彼はテレビのアナウンサーで、
私も顔なじみ(?)でした。
今は異動で広島にいらっしゃいませんが、
「でーやん」という愛称(?)を勝手につけてお呼びしていたくらいなので、
「きゃあああ、生でーやんだああああ」
と内心はしゃいでいました。
出山さんは「映画監督になりたい」という夢があり、
映画化したい事柄を見つけ、
作品に仕上げたそうです。
内容は、
吉川清さんと妻の生美さんという、
実際にいらっしゃるご夫婦の映画でした。
生美さんは、
お見合いの席で清さんの背中に一目惚れし、
結婚しますが、
1年後、夫婦でご自宅で被爆してしまいます。
彼女の惚れた清さんの背中はひどくやけただれ、ケロイドになってしまいます。
そのケロイドをアメリカ軍と報道が撮影させてほしい、と申し出て、
いろいろな葛藤を経て、
清さんは撮影されることになりました。
その新聞を見たアメリカの人々から
励ましの手紙や援助をもらいました。
清さんは、その後、
原爆ドームの近くに土産物屋を開き、
自分の背中を見せながら、
原爆を語ります。
彼の死後、
今度は生美さんが清さんの背中の写真を見せて、
原爆を語り継いでいきます。
実際の原爆の惨状よりかはソフトに表現してある。
それは「怖い」ばかりが先立ってしまうのを避けるためである。
と出山さんは話されました。
確かにそうでした。
広島には、アメリカ兵が撮影した原爆投下直後のヒロシマのフィルムを買い取り、
ドキュメンタリー映画にしたものが何作かあり、
私も小学生の時に、それを見せられました。
ソフトに表現されていましたが、
私は悪寒が何度も走り、
気分が悪くなり、
動けなくなってしまいました。
上映が終わってから、
マリオやルイージと交わす言葉も少なく、
足早に自宅に帰り、
布団にもぐりこんでしまいました。
出山さんから感想を求められましたが、
積極的にお話する状況ではありませんでした。
広島にいますが、
吉川ご夫妻のことは私は知りませんでした。
なので、
今回、知ることができたのは、
よい機会だと思いました。
こんな私ですが、
戦争や原爆のことを語らずにすますことには賛成しかねます。
(「もう平和なんだから、
怖くて残酷なことを知らせる必要はない」といって、
語り継がなくてもよい、とする考えもあります)
だから、たまにはそれだけを考える時間があるのはよかったです。
作品としては、
初監督作品なので、荒削りだなぁ、と思いました。
「一目惚れした背中」が
「被爆した背中」となり、
「アメリカの人の心を動かす背中」となって、
「原爆を語る背中」となっていきました。
最初は生美さんの視線で描かれていた物語が、
最後には清さんのその行動をクローズアップされていました。
私の好みとしては、
「惚れた背中」を見つめる生美さんの視線が途切れることなく、
物語が終るほうがいいなぁ、と思いました。
映画「運命の背中」 出山知樹
|2021/06/19戦争や原爆を取り扱った作品を私は積極的に見ません。
見終わったあと、
なかなか元気にならずに、
ひどく落ち込みすぎてしまうからです。
原因はいろいろあるでしょうが、
あまりのしんどさに
少し避けています。
しかし、今回は、マリオとルイージのお誘いがあり、
原爆を取り扱った映画「運命の背中」を見ることにしました。
監督の出山さんのトークショウもありました。
彼の顔を見たときに、きゃあきゃあしてしまいました。
彼はテレビのアナウンサーで、
私も顔なじみ(?)でした。
今は異動で広島にいらっしゃいませんが、
「でーやん」という愛称(?)を勝手につけてお呼びしていたくらいなので、
「きゃあああ、生でーやんだああああ」
と内心はしゃいでいました。
出山さんは「映画監督になりたい」という夢があり、
映画化したい事柄を見つけ、
作品に仕上げたそうです。
内容は、
吉川清さんと妻の生美さんという、
実際にいらっしゃるご夫婦の映画でした。
生美さんは、
お見合いの席で清さんの背中に一目惚れし、
結婚しますが、
1年後、夫婦でご自宅で被爆してしまいます。
彼女の惚れた清さんの背中はひどくやけただれ、ケロイドになってしまいます。
そのケロイドをアメリカ軍と報道が撮影させてほしい、と申し出て、
いろいろな葛藤を経て、
清さんは撮影されることになりました。
その新聞を見たアメリカの人々から
励ましの手紙や援助をもらいました。
清さんは、その後、
原爆ドームの近くに土産物屋を開き、
自分の背中を見せながら、
原爆を語ります。
彼の死後、
今度は生美さんが清さんの背中の写真を見せて、
原爆を語り継いでいきます。
実際の原爆の惨状よりかはソフトに表現してある。
それは「怖い」ばかりが先立ってしまうのを避けるためである。
と出山さんは話されました。
確かにそうでした。
広島には、アメリカ兵が撮影した原爆投下直後のヒロシマのフィルムを買い取り、
ドキュメンタリー映画にしたものが何作かあり、
私も小学生の時に、それを見せられました。
ソフトに表現されていましたが、
私は悪寒が何度も走り、
気分が悪くなり、
動けなくなってしまいました。
上映が終わってから、
マリオやルイージと交わす言葉も少なく、
足早に自宅に帰り、
布団にもぐりこんでしまいました。
出山さんから感想を求められましたが、
積極的にお話する状況ではありませんでした。
広島にいますが、
吉川ご夫妻のことは私は知りませんでした。
なので、
今回、知ることができたのは、
よい機会だと思いました。
こんな私ですが、
戦争や原爆のことを語らずにすますことには賛成しかねます。
(「もう平和なんだから、
怖くて残酷なことを知らせる必要はない」といって、
語り継がなくてもよい、とする考えもあります)
だから、たまにはそれだけを考える時間があるのはよかったです。
作品としては、
初監督作品なので、荒削りだなぁ、と思いました。
「一目惚れした背中」が
「被爆した背中」となり、
「アメリカの人の心を動かす背中」となって、
「原爆を語る背中」となっていきました。
最初は生美さんの視線で描かれていた物語が、
最後には清さんのその行動をクローズアップされていました。
私の好みとしては、
「惚れた背中」を見つめる生美さんの視線が途切れることなく、
物語が終るほうがいいなぁ、と思いました。
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