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文章をつけたい写真

2021/06/05

「叢展」に行ったとき、すごく不思議な感覚に包まれっぱなしだった。

広島PARCOで開催され、たまたま買い物にいき、そのままふらりと立ち寄った。

無機質なフロアの片隅の会場に、グロテスクといっていいのか、動物保護団体ならぬ植物保護団体がいたら怒ってしまうんじゃないか、と思う展示だった。

丸く大きいとげとげしたサボテンが土のないまま転がっている。

全部が全部そうではないし、不自然に枯れてはいないが、海外から日本に輸送中に枯れたものも展示してあった。

なんて不自然で、なんて残酷で、なんて迫力なんだろう。
そう思いながら、私はサボテンと向き合い、シャッターを切った。



不気味なのに、私はサボテンに胸倉をつかまれているようだった。

「こんなことをしても我々は死にはしない。よく見ておけ」

言い返せないほどの圧をかけられそう言われたような気がした。




このサボテンを見てから1か月半以上過ぎるが、まだ私の中に大きく深く突き刺さっている。
喧嘩を売ったわけでも売られたわけでもないのに、なぜか怖ろしく、なのにいつまでも見ていたい。

私の内側を大きく揺さぶり、痛いものがこみ上げてくる体験だった。




そのときに撮ったサボテンもまた、同じように私に迫ってくる。


私はこの写真に、とても痛い文章がつけたい、と思った。
ひりひりとする、喉が枯れそうなほど叫んだあとの、なんていうか容赦のない「孤独」や「若さゆえの残酷さ」など。

が、そういうものを書こう、という気持ちにならないのだ。

多分、年を重ねたためだと思う。

背伸びして、近づくものをぶっ飛ばして、ヤマアラシになるのが面倒になり、居心地のいい巣に籠りうつうつと自分の世界に閉じこもっているほうがよくなっている。


ここでもう一度棘を振りかざす気はないのだけれど、でもこのサボテンの写真には文章がつけたいなぁ、とやっぱり思う。






■参考

広島PARCO 25周年記念展覧会叢-Qusamura 展 ~騒めく植物の声~≪地元広島で展覧会を開催≫