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広島を初めて訪れる方をご案内することがあります。
行き先には原爆ドームも含まれることが多いです。
広島駅で待ち合わせをしたら、まずは広島名物路面電車に乗って出発しましょう。
私は「ウェルカム・トレイン」と称して、ここの電車賃をごちそうすることが好きです。
ちなみにSuicaは対応していません。
PASPYかicocaは対応しています。
電車賃も値上がりしました。
広島の中心部は駅と繁華街が離れています。
それまでの街の発展と鉄道の関係で、こんなことになっています。
電車は繁華街に入っていきます。
デパートがあったり、歩いている人が増えたりしています。
そして、唐突に原爆ドーム前の電停に着くので、下車します。
驚かれることが多いです。
「こんなに街なかにあるんだ!」
かつてはこのそばに市民球場もあったし、私にとっては「当然のこと」だったのですが、最近、じわじわとなにかを感じています。
広い平和公園の敷地ですが、ここは最初から平和公園ではありません。
人々が暮らす街がありました。
原爆は「街」に落とされたのです。
誰もいない砂漠に落とされたのではありません。
そうか、街に落とされたのか。
改めてそう考えるとじわじわくるものがあります。
まだ言語化できませんが、どこかがむずむずします。
広島に生まれ育ちましたが、原爆と私はまだ折り合いもつかず、飲み込めてもいません。
親族に被爆者がおらず、戦争を知らない私でさえ、飲み込めないなにかがあります。
どうして「広島」というだけで、平和教育を受けなければならないのか。
どうして「広島出身です」と答えただけで、気の毒がられなくてはならないのか。
どうして、広島には古いものが残されていないのか。
きっとこれから先もずっと、折り合いはつかずに私は自分の生を終わらせるのだと思います。
原爆ドームが街なかにあるということ。
それは原爆が街に落とされたということ。
このことを胸に抱え、しばらく生きてみようと思います。
原爆ドームが街なかにあるということ
|2021/06/05 |2広島を初めて訪れる方をご案内することがあります。
行き先には原爆ドームも含まれることが多いです。
広島駅で待ち合わせをしたら、まずは広島名物路面電車に乗って出発しましょう。
私は「ウェルカム・トレイン」と称して、ここの電車賃をごちそうすることが好きです。
ちなみにSuicaは対応していません。
PASPYかicocaは対応しています。
電車賃も値上がりしました。
広島の中心部は駅と繁華街が離れています。
それまでの街の発展と鉄道の関係で、こんなことになっています。
電車は繁華街に入っていきます。
デパートがあったり、歩いている人が増えたりしています。
そして、唐突に原爆ドーム前の電停に着くので、下車します。
驚かれることが多いです。
「こんなに街なかにあるんだ!」
かつてはこのそばに市民球場もあったし、私にとっては「当然のこと」だったのですが、最近、じわじわとなにかを感じています。
広い平和公園の敷地ですが、ここは最初から平和公園ではありません。
人々が暮らす街がありました。
原爆は「街」に落とされたのです。
誰もいない砂漠に落とされたのではありません。
そうか、街に落とされたのか。
改めてそう考えるとじわじわくるものがあります。
まだ言語化できませんが、どこかがむずむずします。
広島に生まれ育ちましたが、原爆と私はまだ折り合いもつかず、飲み込めてもいません。
親族に被爆者がおらず、戦争を知らない私でさえ、飲み込めないなにかがあります。
どうして「広島」というだけで、平和教育を受けなければならないのか。
どうして「広島出身です」と答えただけで、気の毒がられなくてはならないのか。
どうして、広島には古いものが残されていないのか。
きっとこれから先もずっと、折り合いはつかずに私は自分の生を終わらせるのだと思います。
原爆ドームが街なかにあるということ。
それは原爆が街に落とされたということ。
このことを胸に抱え、しばらく生きてみようと思います。
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うめとよさん
コメントありがとうございます。
広島の子どもは平和学習を受けます。他県の子どもは広島ほど強烈な平和学習を受けなくてすんでいる、というのを大きくなって知り、私はひどく憤りを感じていた時期がありました。それはまだ続いてはいます。
それでも、今こうして呼吸をしている日常が奪われるということ。70余年経ってもまだ後遺症に悩み影響が残る兵器の何倍の威力の兵器が、いつ使われてもおかしくない世界に生きていることを考えると、「つらいから見たくない」だけでは済まされないような気もします。
人によってさまざまな付き合い方のある事柄だと思います。
自分の付き合い方をまだまだ模索していきます。
私は平和授業で広島の怖い写真をたくさん見せられることがトラウマになるほど嫌でしたが、あれが現実に起こったことで、それを子供のうちから突き付けられてきたことに、今は少し感謝しています。戦争=怖い、残虐、凶悪ということを、戦争を知らなくてもシンプルに焼き付けることが出来たから。
そして、爆弾を落としたアメリカを憎む方向ではなく、戦争を憎むように教えてくれた教育も(今では色々と難しい面もあるのかもしれませんが)良かったと思っています。
だからといってあの爆弾のおかげで戦争が終わっただとか、良い教訓になっただとかは、あの写真の人たちのことを思い出せば絶対に思えませんが。
この世界がどうか平和であるように、あの写真の人たちが決して忘れられないように祈ります。