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「中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?」  NHK_PR1号

2021/06/19



ようやく本がぼちぼち読めるようになってきて、
ずっと気になっていた本をぽちぽち読んでいます。



NHK_PR1号さん(以下PRさん)のツイートはTwitterをやっていたら、
どこかかしらリツイートが回ってきたり、
面白公式アカウントの絡みでTLに流れてきていました。

私は1度フォローしましたが、なんだかふざけすぎている感じがしたので、リムーブをしました。
しかし、その後、糸井重里さんとTwitterでやり取りするのを見て、
再びフォローし、今に至ります。



ただ「面白い!」と思っていたPRさんを強烈に意識したのは、
やはり、堀潤さんと同じく東日本大震災の時でした。


PRさんのツイートは、パニックになっている私のTLの中で大きな支えになるものの一つでした。
急がせるけれど、落ち着けるようなことばがけ。
特に、「ひとりでいる人、お年寄りにはお互いに声をかけあうだけで安心できるのでぜひ声をかけてください」といった内容のツイートは他にしているものはなかったように思います。
PRさんのTwitterを通しての声かけは、私も安心させてくれました。
そのツイートが可能だったのは、PRさんが阪神淡路大震災を体験しているからだということを
ほぼ日刊イトイ新聞のコンテンツで知りました。






私はPRさんが随分有名になってからフォローしたので、わからないこともたくさんありました。

私の疑問に答えてくれたのがこの本でした。

どうしてPRさんがPRさんになったのか。

2号先輩がどうして誕生したのか。

震災のときのツイートは何を考えてされていたのか。

普段の「ふざけすぎている」とおしかりを受けるツイートもなぜしているのか。



PRさんの誕生秘話(?)はすごく楽しかったです。
Twitter自体が出始めから、どう使っていけるかの模索期にあたっていたのだと思います。
また、PRさんの軸のブレのなさ。
淡々と「こうですから」と突き進みながらも、どこか天然で親しみやすいところもある人柄がよくわかりました。

年代が特定されそうなアニメへの詳しさのにじむツイートはここから発せられていたのか。
というのも納得しました。


そして、震災発生後の4日目の、
平常心を取り戻すために「これまでどおりのユルいツイートをします」宣言をツイートしたときの舞台裏(?!)は、もうどきどきしていました。

私は実際に揺れを体験していないので、なにかよくわからないまま、
「とにかく大変なことが起こってるんだ」
という不穏な空気に包まれたままでした。

本でも取り上げられていましたが、
NHKの放送が他の手段、私の場合はニコニコ動画で視聴できるようになり、
私は見てもどうにもならないことを知りながら、遅くまでNHKの放送を見ていました。

民放のテレビでは公共広告機構の「まほうのことば」のCMばかりが流れていて、異常さが募るばかりでした。

こんな中での
「これまで通りのユルいツイートをします」宣言は、
「あ。私は何もできない」
と自分を責めたり、
不穏な空気はあるものの普段と変わらない生活ができる自分がなんだか申し訳ない感じがして、
どう動いていいのかわからない、
と戸惑っていた私に、
「私も、これまで通りでいいんだ」
と思わせてくれました。


ヴォノからは
「西は特になにもないのなら、いつも通りの生活をしてほしい。
西から盛り上げていってほしい」
というメールがちょくちょく来ていました。

ヴォノやコォからの深刻で過酷なメールも来ていたので、
私も委縮していたのですが、
やっとこれまで通りの呼吸ができたような感じがしたのです。


PRさんの震災時のツイートについては、
この本が出版されてからほぼ日刊イトイ新聞で行われた対談でも話されています。






こんなことを思い出しながら、私は本を読み進めました。

PRさんの文章はわかりやすく、そして人間くさく、
自分がツイートしたことでのリプライへの反応がすごくわくわくして、
どんどん読んでいきました。



本は2号先輩が出てきたこと。

そして、フォロワーが増え、「マス」になっていったことで、
「これまでと違う影響力がある」ことを感じるあたりで終わっています。







この本が出版されて少しした頃だったと思います。

たびたびヒヤヒヤしていたPRさんのツイートですが、
内容が問題となったらしく、
PRさんのツイートがしばらく止まりました。

NHKではなく、フォロワーがそんなに多くなかったらこんなにならなかったかもしれません。

説明がないまま、ネットではいろいろな憶測と思われることが流れ、
それからふらりとPRさんは帰ってきました。

けれども、ツイート内容がそれまでのノリのいいものではなく、
なんだか窮屈そうな、
奥歯にものの挟まったような、
なんだかヘンな違和感を覚えました。

「ホントはPRさんはもっと違うことが言いたいんじゃないのかなぁ」
となんとなく思っていました。




なんだか不完全燃焼な感じをずっと拭えないまま、
PRさんは2014年3月末、Twitter担当を離れることになりました。

やはり、あのツイートは1号さんにしかできないものだな、と思いました。





懐かしくなって本を読もうと思ったのかもしれません。

今なら、自粛(?)にいたるまでとそのあと卒業するまで、どうだったのかを聞きたいところです。

いつかそんな機会があればいいな、と思いつつ、
私もTwitterを楽しんでいます。












■今回の八重桜




大ぶりで派手な八重桜ばかりではなく、
儚げで繊細な花もありました。