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「いくつもの週末」  江國香織

2021/10/012










本が読めなくなった。

あんなに活字が好きだったのに、
本を読んでいない。
図書館通いも途切れてしまった。


きっとネットでものを読むことが増えたせいだと思う。


スマホだと手軽にネットにつながりすぎて、ちょっとマズいかも。







以前、私が結婚のことでブログを書いたとき、
紹介された本をようやく読んだ。




江國さんの本は「情熱と冷静の間」だけしか読んだことがない。





その江國さんの結婚生活2~3年目の間に書かれたエッセイ。





淡々とした口調(?)で語られるのは、
結婚してみないとわからない
正しいとか筋が通ったとか、そんな理屈では到底説明できないけど存在している結婚と生活についてだった。


以前の私なら、かったるくて読み切れなかったと思う。



江國さんも再々、
「結婚するまではわからなかったが」
ということを書いている。
「結婚してないあたしにはわかるわけないじゃない!」
とイライラしてそっぽを向いていたんじゃないかな。






それを読み切ったのは、なぜかしら?
どうして途中で投げ出さなかったんだろう?
と思いながら、続きを淡々と読んでいった。





なんとなく。

ピンクのハートが飛んでいたり、
甘い甘い香りがしていたり、
そんなことを夢見てるんだけど、
現実はこんな感じで淡々としていて、
でも水面下でいろいろ渦巻いているんじゃないか、結婚と生活って。

と肌で感じている気もする。










私がうらやましかったのは
「帰る場所ができた」
というところだ。
これもただ「いいな」だけじゃない感じもなんだか肌で「うんうん。そうだね」と相槌を打っている自分がいて、驚いているんだけど。


去年、Rylixさんとコメントのやりとりをした中で、
「(キリエは)巣がほしい、ってことじゃないの?」
と問われ、
「巣は鳥が作るもので、半ノラ猫の私がほしいのとは違う!」
と息巻いていたけど、
この1年くらいのことを振り返ると
「やっぱり『巣』がほしいのかなぁ。そうなるかなぁ」
と思うことが増えている。




多分。
おそらく。

私が結婚に望むことのひとつに
「帰る場所ができる」
があるのだと思う。

「ただいまー!」
と帰れる場所。


旅人だと思われているふしもあるけれど、
スナフキンのようにずっと旅の空、じゃなくて
「おうちに帰るまでが旅ですからね!」
と帰ることも重要なのだ。





きっと、結婚しておうちがあって帰る場所があっても
私は変わらず、
寂しくて悲しくて涙することもなんとなく肌で感じている。

「あたしの場所はここじゃない気がする」
なんてめそめそするんだ。




それでも大好きな人とひっつきもっつきしていられるのは素敵なんじゃないかなぁ、
と想像してうっとりしてしまう。







そして、
「こんな文章をこのブログに書いていけるような結婚もいいかなぁ」
なんて大それた想像もしながら、
本を閉じた。










これまで照れてしまったり、
「カッコ悪い」と思っていたりしたけど、
真面目に結婚のことを考えようとしてるんだ、あたし。

と自分の変化に照れたり戸惑ったりかわいく思ったりしている。