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西で一番

2021/08/292







広島LOFTの糸井重里さん来店イベントでの、
「ほぼ日手帳の相談」に入る前のお話は、

「広島は福島を受け入れる、西で一番のところになってください」

といったことばで終わりました。
(ちょっとうろ覚えですが、大体このような趣旨のことでした)





ヒロシマの原爆からの復興に、
東北復興のヒントがあったり、
「明るい希望の光」があったりするのではないか、
と糸井さんは勉強を始めたそうです。


ヒロシマの被害や悲惨さを見聞きすることはたくさんありましたが、
復興については
広島の子どもなら必ず受ける「平和学習」でも
あまり取り上げられなかったような気がします。

もしかしたら、習ったのかもしれませんが、
あまり覚えていません。

ただ、「あと50年は草木も生えない焦土になった」と思われていた土地に、
初めて咲いたのがキョウチクトウだったので、
広島市の花はキョウチクトウになった、
というのは覚えています。



糸井さんが挙げたのは、
「100m道路」と呼ばれている「平和大通り」についてと、
広島のカープと市民球場について、でした。


100m道路とは、平和記念公園の前から東西に延びる幅100mの道路のことです。
作るにあたって、
「道の幅が広すぎる。
半分の幅にして、住宅地にするべきだ」
と猛反対を受けたそうです。

それでも、20年、30年の未来を見据えてあの道路を作った、のだそうです。



球団と市民球場は、
「市民が元気になるもの、求めているものはなにか」
を考えて考えて作ったそうです。




恥ずかしながら、私、知りませんでした。



こういったことが糸井さんのアンテナにひっかかっているようです。







その話から、東北の話になり、
それでも仙台や気仙沼は元気なのだ、と話されました。

けれど、一番大変なのは福島だ、と。

町が流されても、人々が集まってなにかすることができるのに、
福島の場合は、人がばらばらになって集まることができない。
「自分たちの町」がない。


未来を描くことが難しい。


そして、福島の風評被害のことに話が移りました。

最初、福島の人たちを受け入れる、と言っていたが、
実際には受け入れるところは少なかったし、
福島の産物を買わないようにしている人は少なくないし、
福島ナンバーだ、というだけで、車にいたずらをされたり・・・。


東北だと、
「同じ東北だから」と福島の人を受け入れるのに、
西に行くほど、受け入れられない。



このあたりで、糸井さんはぐっときて、涙ぐみました。


落ち着こう。
言葉を発しよう。
としますが、なかなか落ち着けませんでした。



そんな中で最後に糸井さんが言いました。


「広島は、西で一番福島を受け入れるところになってください」















■ 本日の写真

ほぼ日手帳のカバーに、
マスキングテープを貼ってカスタマイズするアイディアがあります。
実際に、「ほぼ日手帳公式ガイドブック2012」にも掲載され、
サイト内でも紹介された
イラストレーターの福田利之さんによるコラージュなど施された手帳カバーたち。

まさか、本物を見られるとは思いませんでした。

「スギエ文具」のコーナーでさりげなく、展示してありました。